週刊RO通信

なぜ自民党批判に精出すか!

NO.1388

 敗戦後の政権を担ってきたのは、保守政党である。1955年から今日まで、わずかの期間以外は自民党が政権の座にあった。55年、自民党は財界の強烈な後押しによる保守合同で誕生した。

 自民党は国民政党を標榜する。しかし、根元から財界の政党であるから国民政党とはいえない。国は、社会を構成している人々がつくっている。当然ながら、国民はその社会のすべての人々である。国の統治権はすべての人々から生まれる。財界人は人々のごく一部である。財界人に依拠する自民党は、正確に表現すれば、財界人「階級」の政党である。

 財界人とはいかなる見識の人々であろうか。①経済とは人々の生活第一のための仕組みだと考えるか、②企業が儲けること第一のための仕組みだと考えるか。財界人は②が多い。儲けなければ企業が存続できないという。しかし、人々の生活が成り立たなければ、企業が存続できないことを忘れている。

 コロナウイルス感染拡大が懸念される事態に、経済がダメになれば命を失うとしてGoToキャンペーンを展開したのが、②財界人の発想である。非正規雇用を激増させたのも同様、賃金生活をする圧倒的多数の人々が雇用不安・低賃金になれば、企業が儲ける条件も低下することが分かっていない。

 資本主義経済の権力者は財界人である。その財界人が政治の権力者と結託すれば、儲けることに好都合である。だから財界人は政治献金を必要経費と考えて、コスト削減の対象にはしないばかりか、政治家の性根を腐敗させる作業にも手を染めてしまう。贈収賄汚職は浜の真砂と同じで尽きない。

 わがマスコミがピリッとしない。真実を報道する仕事に憧れて記者になったはずだが、マスコミもまた企業である。財界人に不都合な真実をじゃんじゃん報道すれば、企業から潤沢に広告をいただきにくい。かくして企業はマスコミの堕落の一因を担っている。

 政党が政権を維持し続けるためには、官僚体制の取り込みに精出さねばならない。なぜなら官僚体制は最大のシンクタンクである。政権を取らなければシンクタンクを自由自在に使いこなせない。しかも、官僚は選挙で人々の信任を問われない最大の政治権力集団である。政府の中の政府である。

 わが憲法は『主権在民』であって、「公務員(官僚)は、全体(国民)の奉仕者である」と規定している。以前の憲法は『主権天皇』であるから、官僚は上から下まで天皇直結の権力者であった。官僚にとって国民は奉仕する存在ではなく手足たる存在であった。15年戦争では命まで徴発された。

 1947年5月3日施行された憲法によって、官僚の地位は天地がひっくり返った。足下にあった国民を頭上に掲げねばならない。下衆な表現をすれば、「かしずく」のと「かしずかせる」のといずれが心地よいか。「かしずく」ことに職業的快感を覚える人は、残念ながら少数派であろう。

 自民党と官僚の体質は相性がよろしい。自民党は、憲法改正と再軍備路線で戦前回帰路線である。これは戦後民主主義に背中を向けて歩むもので、端的にいえば国家主義をめざす。自民党がいう国民政党とは、正しくは「国家主義」政党である。敗戦までの日本は典型的な国家主義であった。

 野党が頼りないから自民党が天下党である。然り、その力は「政・財・官のトライアングル」から出る。それに積極的に加わりたいマスコミ企業がある一方、加わりたくないマスコミ企業には、有形無形の圧力をかける。さらに、露骨になっているのは、日本学術会議会員任命拒否問題が示したように学界の取り込みである。すでに大学の取り込みは、予算を使った兵糧攻めが相当の成果を上げている。学問の自由が危うい。

 資本主義を自由放任にすれば圧倒的多数の人々の生活はどんどん不自由になる。だから、不十分な社会保障でも、それは自由放任を統御する方策の1つである。本来、政治は資本主義の自由放任ではなく、①経済を人々の生活第一に進めるためにこそ機能しなければならない。

 人々は「権力=政・財・官」を統御しなければならない。政党の視線が国民第一であるようにするためには、「国家主義」政党を「国民」政党と欺いている自民党の言動・行動を甘く見ず、いわば「箸の上げ下げ」に注文を付けねばならない。それが自民党を批判する最大の根拠である。