論 考

割り切れない意識調査

 9月25日の朝日新聞夕刊に、内閣支持率の意識調査に関する担当者の短いコラムが掲載された。それによると――

 内閣支持率調査は、1946年の「吉田茂内閣を支持しますか」に始まった。選択肢は、支持する・支持しない・態度保留の3つ。

 1948年の芦田均内閣支持率調査から、支持する理由を尋ねるようになった。選択肢は、政策がよい・やむを得ず・その他・理由なしの4つ。

 2007年に、何を基準に「支持する・支持しない」を答えているのかという質問を郵送で尋ねた。選択肢は、仕事をよくやっているかどうか(評価)・今後も任せたい(期待)・好きかどうか(印象)の3つであった。

 コラムは、「あなたは、内閣支持率調査での基準は何でしょうか」と結ぶ。

 思うに、評価の内容は実際のところはわからない。期待・印象となればさらに漠然とする。意識調査なるものは、一応結果は出るが、なぜそうなのかというのは藪の中である。極論すれば、ほとんどが印象によるものではなかろうか。

 というわけで、わたしは意識調査なるものについて普段から少なからぬ疑問を持っている。さらに問題は、意識調査が公表されると、それが世間の雰囲気! だと思い込んで、自分の考えを多数派に合わせようとする傾向が強い。

 意識調査は、一見、皆さまのご意見拝聴という民主的? 方法ではあるが、わずかな数の意識調査結果によって、世論を誘導してしまう。

 「そんなものだよ」と割り切る気分にならないのである。