週刊RO通信

賃金の呪縛と労働者

NO.1342

 わたしが初めて賃金袋を手にしたのは1963年4月20日であった。たしか額面13,800円、税金・社会保障、寮費・食事代など差し引かれて手取りは8,000円ほどであった。きちんと記憶していないのが残念である。なにしろ働いて手にする賃金なるものに関心が薄かった。

 勤めたのは電機会社であるから、月賦で電気製品を買った。ヘアードライヤー・電気ポット・トランジスタラジオ。これが独身寮生の三種の神器である。〆て1,500円ほど。故郷の母親に1,500円仕送り、奨学金返済1,000円、残りが4,000円程度であった。

 高校時代の奨学金は月額3,000円で、本来学費に当てるべきものを、母親が自分の好きなような使ってよろしいというので、軟式庭球部の後輩に今川焼をおごったりして、貯金するという才覚がない。丁稚時代とはいうものの一応社会人だから、4,000円の小遣いの少ないことに閉口した。

 当時、組合へ行くと、みなさんは「賃金が安い」と文句たらたらである。賃金や一時金交渉の話し合いをやれば、とにかく賑やかであった。組合役員が、「会社が組合要求に応えられるほど儲かっていない、経営が厳しいと言っている」と報告すれば、「何を言うてるのや、こちとら1年間ギリギリ生活で辛抱してきたのだ」と反発食らうのが当たり前の光景であった。

 中年の某氏が、「賃金を手にするために辛抱して働いている。賃金は我慢料だ」と言うのを聞いて、なかなかうまい表現をするものだと思う。しかし、「仕事=我慢」という公式に対して、誇り高き丁稚としては納得できない。仕事を通じて人生を作っていく。「人生=我慢」には我慢できない。

 たとえば、画家が絵を描く。画家が描いた絵は自分を対象化したものである。自分自身を表現するのが絵である。画家は売るために描くのではなく、描きたいから描く。描く過程を楽しみ、描いた絵を観照して楽しみ、さらにまた次の絵に挑戦する。画家は1つの絵を描くたびに、自分の考えを深化させ、技術的にもさらなる工夫を凝らす。そして、画家は成長する。

 画家に限らず、芸術家に限らず、運動選手も同じである。運動選手の場合、残るのは記録であるが、彼を駆り立てる精神は同じである。モノを作る労働者も、その精神はまったく同じはずである。作る過程を楽しみ、作物を観照して楽しみ、さらなる労働意欲を燃やす。労働者も芸術家である。

 我慢の仕事から生まれる作物では芸術にはならない。わたしが組合活動の端くれに参加し、形にもならない活動を続けてきた精神である。1970年代から中高年労働者の人生設計セミナーを開始した。仕事に限らず、さまざまなテーマを提起して話し合いをしてもらった。これは大ヒットした。

 誰もが職業生涯における元気な人生を願っている。そこからわかったのは、「他人の不幸がわたしの幸せ」というような相対的元気ではなく、「わたしがわたしの人生を作って行く」という絶対元気の精神の重要性である。

 これは日ごろの慣性的生活においては意識されていない。なぜなら、人は自分が属する社会や、生活している状況が巨大で、自分には変えられないものだと思い込んでいるからである。ところが人生設計セミナーの空間においては、まちがいなく「自分こそが主人公だ」という事実に気づくのである。

 少し考えてみればわかる。たしかに社会も状況も巨大である。しかし、自分を中心として考えているうちに、実は、社会も状況も1人ひとりの「自分」が作っているではないか。社会といい、状況というが、それの「目」がどこにあるのか。巨大で掴みどころがないから、それを中心に考えれば、自分がますます非力になって右往左往するのみになっているわけだ。

 1人ひとりの「自分」が考え、願っていることは、自分だけではないということに気づくとき、われわれが置かれている見えざる障害を解決するための活動を開始できる。日々の慣習的思考から頭を巡らせてみよう。社会も状況も、その核心は「自分」と、他の多くの「自分」である。

 いま、労働組合が活気を持たない理由は、煎じ詰めれば、1人ひとりの組合員の「自分」を発掘できていないからである。誰もが、自分の人生の画家であることに気づけば、わが労働組合は巨大な力を発揮できる。「賃金=我慢料」の見えざる鎖を断ち切ろう。