2010/11
事実に迫ることの難しさ高井潔司



事実に迫ることの難しさ
――ノーベル平和賞の劉暁波氏の証言


 私はいま大学の教員をしているので、本を読むのが仕事の一つである。したがって毎日、新聞を読む時には書籍の広告をチェックする。10月20日付の読売新聞。2面と3面の下の広告には、いまをときめく「池上彰」君のやさしい顔写真が両面に出ている。実は彼は高校の後輩で、記者時代、渋谷警察署を中心とした第3方面の警察担当記者を一緒にしたこともあって、その後の彼の活躍を大いに喜んでいた。ところが、出版界では“池上彰現象”なるうわさ話がここ数カ月ささやかれているそうだ。いつ池上バブルがはじけ、使い捨てになるかとの予測で持ちきりという。 “池上彰現象”なるものについて、一度、本欄で触れたいとここ数か月考えていた。
 ところが、私の守備範囲の尖閣問題などが浮上し、書けずじまい。今回も、ノーベル平和賞に中国の反体制派文化人、劉暁波氏が選ばれて、話の中心は劉氏がそのリーダーとして名を馳せた天安門事件となる。が、最後に池上君の話に触れたいと思っている。


 私は毎年のように、天安門事件から4年目の1993年に放映されたNHKのクローズアップ現代「天安門事件 空白の3時間に迫る」を授業で見せている。天安門広場に立てこもる学生・市民を人民解放軍が排除する際、数千から一万人を虐殺した――との当時の西側報道を検証する番組である。以前本欄でも取り上げたことがある。今年はもともと授業で見せる予定はなかった。もう20年以上が経ち、事件発生当時生まれていない学生も入学して来たからだ。
 これまで上映してきたのは、「大量虐殺があった」との学生たちの“ステレオタイプ”をぶち破ることで、マスメディアで伝える情報がどのようなものか、そしてそれを基に形成される国際世論なるものがいかに脆弱なものであるかを考えてもらうのが狙いだった。
 この番組では、学生たちと一緒に広場に立てこもった台湾のシンガーソングライター、侯徳健氏の証言とスペイン国営放送のビデオを対照することで、広場では海外に逃亡した学生たちの言うような虐殺がなかったことを検証している。だが、いまや学生たちは、虐殺があったとのステレオタイプどころか、事件を知らないのである。
 だが、今年はこの事件のリーダーの一人、劉暁波氏がノーベル平和賞に決定したばかりで、劉氏はどんな人物かという関心が強いだろう。化学賞に北大名誉教授が選ばれた年でもある。おそらくジャーナリズムにしかできないであろうこの検証報道を、学生たちに知ってもらいたいという気持ちもあった。そこで事件を知らない学生たちのために、私自身記者として現場にいたが、結局真相がわからず誤った報道に加担した反省を含め簡単に事件を紹介して上映に入った。80人近く入った教室は静まり返り、学生たちは食い入るように画面を見ている。例年以上の手応えである。最後に学生たちに感想を書いてもらう。


 読み終わるまで少々不安だった。何しろこの学生たちは新聞どころか、テレビさえあまり見ないという世代だ。やっぱり、マスメディアはこんな誤報ばかりをする。情報を確かめず、学生たちの話を一方的に掲載した、マスメディアは駄目だという議論になってしまうのではと危惧したのである。
 ところが、意外や学生たちは冷静である。
 「ビデオの内容は自分が想像していたものと大きく違って驚きました。なぜそのような違いが発生したか、正直わかりません。でも講義で話していたマスメディアの問題点等を考える時、ニュース報道が必ずしもすべてが正確に発信されているわけではないという情報の危うさがわかりました」
 「事件の経過から、学生の証言を信じてしまうことも仕方がないことかもしれないが、一つの媒体に頼るのはまずいということを認識した。ネットなども存在するべきだが、だからといって新聞社がつぶれるというのもまずい状況だと感じた」
 「今回痛感したのは、真実の追求にはメディアの存在が不可欠であるということだ。現地に行けない私たちが真実をつかむには結局、メディアを頼りにしないといけないのである。そのためにはわれわれは氾濫する情報にすぐ飛びつき、行動してしまうのではなく、それが正しいのか否かを見極めるゆとりを持つ必要がある」
 以上が多数の感想だったが、中にはスペイン国営放送の報道などもどこまで信じられるかという疑問の声もあった。それは番組の中で、侯徳健氏とスペイン放送がそれぞれ全く個別にNHKの取材に応じ、それぞれの証言が驚くほど一致したとキャスターが述べているので、疑いの余地ないが、私は今回、劉暁波の証言はないのか、調べてみた。
 実は劉氏自身、広場では虐殺の事実がなかったことを証言し、それが事件から約3か月後の89年9月19日付けの人民日報に掲載されていることがわかった。私はこのことを矢吹晋編著『天安門事件の真相』下巻(90年9月刊行)の矢吹氏のあとがきを読んで知った。いや、かすかな記憶では当時人民日報の記事を読んだはずである。ただその当時劉氏は当局によって拘束中であり、人民日報の報道をにわかに信じることができなかったのだと思う。
 だが、矢吹氏らの研究は、当時、すでにスペイン国営報道のビデオの存在や侯徳健氏の証言にも触れており、事件から4年後のNHKの番組を待つまでもなく、「真相」は明らかにされていたとも言える。ただそれが世間に流通し、「世論」を形成しなかったのである。その後のNHKの放送さえ、「世論」を変えることができなかった。


 さて、劉暁波氏の証言はいまから振り返ってみるとすごい。劉氏は獄中、取材を受けたが、「私の考えははっきりしていた。たとえ広場撤退の際、死者がなかったのは事実にしても、この種の取材の目的は事実を明らかにするためではなく、発砲し、殺人を犯した政府の自己弁護のためである。なぜなら当時、全世界は戒厳部隊が広場を血で洗ったと信じていたし、一部の海外に逃亡した事件関係者は自らの英雄的イメージを高めようと事実を歪曲し、デマを言いふらしていた。私がテレビに出て死者がなかったと証言したら、全世界の怒りを買い、私のイメージはどん底に落ちるだろう。私はきっぱり取材を拒絶した」
 しかし、最後には彼は取材に応じた。それは検察関係者が、侯徳健氏の広場での目撃談を報じた人民日報の記事を劉氏に見せ、「広場から学生たちを平和裏に撤退させたのはあなたがた4人の功績である。事実を話すのに、何が悪いことがあるのか」と、説得したからだった。
 「検察関係者の話は私を突き動かした。私はすぐ取材を受ける理由に思い至った。一つは死者を見なかったのは事実であり、事実を語ることは歴史への責任であり、自分への責任でもある。私が最も嫌うのは、中国人が道徳という美名の下に事実を歪曲する道徳至上主義を望むということだ。(学生指導者の)ウーアルカイシはまさに道徳の美名を選択し事実の尊重を放棄した。
 二つ目は侯徳健が広場撤収の事実を明らかにしたために、社会輿論のとてつもない圧力を受けたことだ。真実を語ったために全世界の糾弾を受けている以上、事実の目撃者である私としては、彼一人にこの糾弾を受けさせるわけにいかなかった」
 このような経緯の下に、劉氏は証言したのだが、私自身、知らないままでいた。わが身の不明を恥じるのみである。矢吹氏が90年に書いた「おわりに」もすごい。
 「今回の『事件』を調べ、考えることは、憂鬱な作業であった。しかしながら、このような憂鬱な作業の中でも、一度だけ、爽快感を感じたことがある。それは天安門広場の「清場」に関する北京師範大学講師の劉暁波の証言に触れた時である。彼の証言は言う。『私は歴史に対して責任を負わなければならない。したがって、あの時に私が目撃した事実を話しておく必要があると考えている』と。この証言に触れた時、筆者はすぐに『崔杼、その君を弑す』と書いて殺された斉の国の史官の話を思い起こした。兄が殺され、その後を継いだ弟がまた同じことを書いて殺され、またその後を継いだ下の弟が同じことを書いた。これにはさすがの崔杼も殺すことを諦めたと言うあの話である。中国の『知識人』の中にも、骨のある人間はいたわけである。やはり、中国は広い」
 矢吹氏の著書は長年、私の書棚に眠っていた。が、劉氏の今回の受賞をきっかけに改めて事実に接近することの難しさ、厳しさと尊さを教えてくれた気がする。

 さて、冒頭の「池上彰現象」に戻ろう。私は彼の著作はほとんど読んだことがない。広告を見る限り、何でも彼の解説にかかれば早わかりできるというのが売りという。確かに新聞紙上での彼のコラムは、専門家の解説と違って、読者の視線で、わかりやく書いている。それはたいへん結構なことだ。だが、何でも物事が簡単にわかるのかと言えば、そうではないことが、以上の劉氏をめぐる話で分かってもらえただろう。やさしい解説も大事だが、真実を知ることの難しさを指摘することも、ジャーナリストの仕事である。そうでないと、「考える」ことの大切さがないがしろにされてしまう。


高井潔司
 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院と大学院国際広報メディア観光学院の各院長。
 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、読売新聞論説委員他を経て現職。日中コミュニケーション研究会理事長。
http://cgi.geocities.jp/ktakai22/


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