2017/06
「黒い旗:Black Flags」 ジョビィ・ウォーリック(2015年)木下親郎




Jaby Warrick ❙
Doubleday 2015 ❙
Paperback:Penguin 2016 ❙ 
473 pages ❙

 ニューヨークタイムズは絶賛、ピュリッツアー賞、ペンギン文庫に入り…とくれば、翻訳がないのが不思議。日本語訳の出版が待たれる。
 未来を描いたフィクションが2回続いたが,今回は街の乱暴者ザルカウィが,「イスラミック・ステートIS」を作るノン・フィクションである。ISの戦士が,イスラムの開祖ムハンマドに倣って,隊列の先頭に掲げる「黒い旗」を題名にしている。本書は2016年のピュリッツァー賞の受賞作品である。著者(1960年生まれ)は,ワシントン・ポスト新聞の中東担当で,地方新聞の記者時代にも環境汚染問題のレポートでピュリッツアー賞を貰っている。
 ザルカウィ(1996〜2006)は,ヨルダンの地方都市ザルカ出身の高校の落ちこぼれで,腕のいれずみを自慢にしていた。それが,母親の説得でイスラムに傾倒し,アフガニスタンでの聖戦の戦士としてムジャーヒディーンに参加した。帰国後,武器不法所持とテロの計画で逮捕され,15年の刑の判決を受け,映画「アラビアのローレンス」のロケに使われた砂漠のど真ん中にある刑務所に収容される。仲間全員と一室にいれられ,首謀者のイスラム最高聖職者マクディシからコーランを学び,仲間から指導者として崇拝されるようになる。イスラムが禁じるいれずみを恥じて,自身で皮膚を切り取り,仲間を驚かせた。ヨルダン国王アブダラ2世の即位に伴う恩赦で釈放され,パキスタンへ出国し行方をくらませた。ビン・ラディンが率いるアルカイダに接触し,現金とアフガニスタン西部の土地を貰い,トレィニング・キャンプを設け私淑する部下を集めて訓練に励む。ザルカウィが国際的に認知されたのは,世界に中継されたパウエル国務長官が国連で行った,イラクに対する米国の決意表明演説による。サダム・フセインとアルカイダが連携して行う脅威の中心人物としてザルカウィの顔がスライドで示された。ザルカウィは米国に名指しされる大物テロリストとしての名声を得,世界中から聖戦への軍資金と過激派戦士が集まるようになった。
 ザルカウィは過激なテロ行為の状況を世界中に発信することで勢力の拡大を図った。処刑ビデオの公開,シーア派モスクの攻撃,自動車爆弾を使っての一般人殺傷は,アルカイダからもイスラムに反するものだとの非難を受けるが,ザルカウィは意に介しなかった。ザルカウィは,米軍無人飛行機の執拗な追跡により所在を突き止められ,米軍戦闘機からの爆撃で殺された。現在ISを率いるのはバグダード出身で開祖マホメットと同じ部族に属するイスラム聖職者のバクル・バクダディである。2010年にISのヘッドになり,2014年にはカリフと名乗る。
 イラク戦争での米軍のバグダード占領(2003年)も,ISの勢力を拡大させた。占領政府が,旧イラクのバース党党員だった政府職員と軍人を年金の支給無しで公職から追放したので,治安は悪化し,職を失った有能な連中がISの幹部となる。開戦前には,フセイン政府やアルカイダに関する重要な情報がホワイトハウスに伝わっていたが,好ましくない情報は嫌われ,現地に欲しい情報を得るための努力が繰り返し求められた。結局,米国大統領は,中枢の能吏が信じ込んだ「ポスト真実」に基づき作成された施策を実行した。
 第一次世界大戦で,900年間聖地メッカを支配したハシム家のフセインがアラブ統一国家を作るべく英仏と共にトルコ帝国と戦い,2人の息子は英仏の外交官が線引きして作ったイラクとトランスヨルダンの国王になったが,現在ハシム家はヨルダン国王だけである。一方ISのバクダディはカリフと称してアラブ統一国家を目指している。一部には名を伏せたものもあるが,知っている実名が多い。歴史に残る大事件から個々のテロ事件まで,学者なら無味乾燥になるような事柄が,わかりやすくて,最後のページの来るのが残念に思う傑作となっている。


木下親郎
電機会社で先端技術製品のもの造りを担当した技術者。現在はその体験を人造りに生かすべく奮闘中。





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