2012/03
「知恵の七柱」(T.E.ロレンス)木下親郎


 Dellペーパバック 1964年版 655ページ(簡約版と称する大作です)

 "Crusaders Castle":The Folio Society 2010年版 226ページ
 オックスフォード大文学部の優等論文は、そのまま出版できるのだから大変なことです
 1962年公開のイギリス映画「アラビアのロレンス」は,200分を超す大作だが,時間を忘れさせ,アラビアの砂漠を脳裏に刻み込ませた。ロレンス(1888-1935)は実在の人物で,超人的な記憶力と克明な手記に基づいて,自伝“Seven Pillars of Wisdom”(知恵の七柱)を書いた。破天荒な生きざまをそのままに記しており,強烈な衝撃を受ける。1922年に書き上げ,1926年に25%ほど減らした簡約版を限定刊行した。バーナード・ショウ,ウインストン・チャーチルが高く評価している。死後,簡約版が世界中で出版され,広く読まれている。日本語訳は平凡社東洋文庫に簡約版(1978年刊行:3冊)と,完全版(2008/9年刊行:5冊)がある。映画はこの自伝に基づいて作られ,映画史上に残る名作に仕上がっている。
 ロレンスはオックスフォード大学で歴史を学んだ。自動車メーカーとして有名になったモーリス社から自転車を提供してもらい,自転車で,イギリスとフランスの城を巡っている。卒業論文を書くために,十字軍が残した中東の城跡を徒歩で回った。治安の悪い地方を,一人で3か月かけて走破した精神力と体力は尋常ではない。カメラを盗まれ,お金も盗られている。旧式銃で撃たれたが,幸運にも銃弾が逸れたこともあった。
 卒論「ヨーロッパの中世建築にたいする十字軍の影響」は,最優秀の評価を得た。1936年に “Crusader Castle”(十字軍城塞)の表題で出版された。最近,復刻版を手に入れたが,ロレンスが訪ねた中東の城跡の多さは脅威だ。卒論の提出期限に追われ,一か所に長時間を費やすことはできなかったと思うが,細部まで詳しく記述している。歴史書で名前を聞くだけの城が,廃墟とはいえ,現実に存在していることを知るのは,ヨーロッパの人に多大な知的興味を与えたに違いない。この卒論の学術的,芸術的価値は少ないと思うのに,100年後に出版されたのには驚く。
 ロレンスが,「アラビアのロレンス」と言われるいきさつを知るには,絶版になってはいるが,中野好夫が戦前に書き,戦後改訂版を出した,岩波新書「アラビアのロレンス」が最適である。きちんとした日本語で書かれているのも嬉しい。随所に簡約版「知恵の七柱」のさわりを引用しているので,原典に迫ることができる。
 第一次世界大戦で軍務についたロレンスは,イスラムの開祖ムハンマド一族につながるハーシム家のメッカ大公フセインを,アラブ統一国家を作ろうと説得して,トルコ・独から切り離し英側に取り込んだ。戦後,フセインの二人の息子は英が実質支配する新しく作られたイラク王国とトランスヨルダン王国の国王になったが,フセインはメッカ周辺のヒジャーズ国王に留まり,統一国家はできなかった。失意のロレンスは,軍隊を退き,偽名で英空軍の一兵卒になったりしている。その後,サウドがフセインをメッカから追い出し,サウジアラビアを作った。イラク王国は3代続いたが,1958年のクーデターによって,王族が処刑され共和国になった。トランスヨルダンはヨルダンと名称がかわったが,現在もハーシム家国王が支配している。
 第一次大戦の際に列強が引いた国境線が,いまだに中東紛争の火種になっている。「知恵の七柱」は,その線引きに抵抗した,歴史の勉強を通じてアラブに親近感を持った,小柄な英国人の記録である。


木下親郎
電機会社で先端技術製品のもの造りを担当した技術者。現在はその体験を人造りに生かすべく奮闘中




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