2015/07
“こんな時代”だからこそ原点回帰をライフビジョン学会






ライフビジョン学会
総会シンポジウム
こんな時代”を考えよう


■テーマの問題意識
 社会はあたかも1枚の巨大な網。
 網は見えざる「連帯」でありコミュニケーション。
 網はたまたましばしば綻びる。綻びたら――原因をよくよく調べて、繕わなければならない。
 巨大な網の歴史を作ってきたのは、日々の暮らしに一所懸命の非力な個人である。
 いま、網の綻びを繕わなければならない。連帯を求める言葉を探さねばならない。

■2015.05.23(土)13:00−17:00

■プログラム
 13:00― 問題提起
“こんな時代”だからこそ原点回帰を
 高井潔司:桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授


  15:00― 参加者全員によるシンポジウム
「私たちはこの時代をどう生きるか」

■オリンピック記念青少年総合センター
 http://nyc.niye.go.jp

■主催/ライフビジョン学会
  http://www.soclifev.com
 office@lifev.com
 ライフビジョン学会は働く人のよりよい人生を設計する情報の提供を続けています。
 これからの社会情勢を先取り、反映したテーマを取り上げた勉強会を主催して、皆様に参加を呼びかけます。
 どうぞご注目ください。






















































































































【筆者による関連記事】
*1
あふれる“ポエム”の責任はやはり政治にある

*2
危うい日本のネット文化(上)

問題提起
“こんな時代”だからこそ原点回帰を

 高井潔司 桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授
 高校時代に漢文の授業で先生が読んだ孔子の言葉を思い起こした。「古の学ぶものは己のために学び、今の学ぶものは人のために学ぶ」。(子曰 古之学者為己 今之学者為人 論語憲問)
 私は「人のために学ぶことはいいことだ」と思ったのだが、先生は、己のために学ぶとは自己修養、真理の探究のために学ぶ。人のためにとは評価を気にし、人の評価にあうように学び発言する姿勢だ、という。
 他人の評価を得るために事実を曲げるような学問ではなく、事実に忠実に学ぶことが自分のための学問であり、本当の学問であるとその時、肝に銘じた。


実事求是の精神
 発展している現代中国の路線転換を図ったケ小平のことを話したい。
 毛沢東が死んで文化大革命が一応終わった。まだ毛沢東の影響力があって、華国鋒は毛沢東の遺言で自分が後継者になっていると主張した。毛沢東の死後も江青夫人が君臨していた。華国鋒首相は毛沢東を継承していく、毛の言ったことやったことは全て正しいとして、後に「二つの全て派」と批判された。
 復活したケ小平は自分の上にいた華国鋒を倒す戦略に、「実事求是」のスローガンを立てた。毛が言ったから、やったから正しいのではなく、実際に適っているから正しい、違っていたら間違っている、事実に照らして是非を問うことを考えなければいけない、実事求是の精神を学ばなければならない。私は、これがケ小平思想の真髄だと思っている。冒頭の孔子の思想と重なる。
 ところで、政権上層部エリートの中での戦いでは実事求是で通用しても、中国社会全体でこの考え方が浸透するかどうか。これが本当の改革開放を進める上で、転換期を見極める判断基準となった。
 私が北京特派員として現場に行った1980年代、当時はまだまだ毛沢東の人気があり、皆は権威、共産党の路線、方針に合わせて発言する。これがいろいろな現場で浸透しないと、中国の本当の改革開放、近代化は進まないと思っていた。現在もそれに近く、実事求是の精神が欠けている。
 さて、振り返れば、日本の言論界をリードする影響力の大きい先生たちが、本当に己のために学んだのか。それを発表して答えているのかに対して非常に疑問に思っている。マスコミ受けするとか、最近は外務省の代弁をするような研究者ばかりが出てきて、それをマスコミが使う。(この講演後、憲法学者の中に学問的良心から、集団的自衛権を憲法違反だと発言した人が出て、見直しました)世界の潮流から取り残されるような外交を、自分たちが正しいかのようにPRしている者がいるが、対中国、韓国、日米関係をゆがめている。こういうやり方の中に日本の世論、言論界がある。
 5月22日の読売新聞は、イスラム国による日本人人質殺害事件についての検証委員会報告書全文要旨を載せていた。
 これには人質の対応に政府に誤りはなかった、と書いている。書いた委員長は官房副長官、10人のメンバーは全員官僚。政府が政府のやったことを誤まりだったと言うはずはないのに、新聞社がこんなに頁を割いて載せている。どこにニュースがあるのか。この新聞は読売、私の出身母体だが、ashameful! 恥ずかしい!
 記者、編集者はボスの渡邊恒雄氏が喜ぶと思ってやっているのだろう、これでは言論機関として機能していない。
 私はいま、桜美林大学でメディア論を教えている。全ての授業の終わりに15分間、学生に今日何を学んだか、考えたかを書かせる。これを一つ一つ読むと学生が何を、どう考えたかが全部わかる。誤解もめちゃくちゃもあるし、「新聞ってスゲェ」、の一行しか書かない奴もいる。これもまた授業で紹介し、このリアクションペーパーは新聞記事を書く練習をしているのだ、新聞記事は事実をしっかり書くということに始まり、それをどう考えるかを書くのだと紹介する。
 学生の親たちは大学入試に就職活動に、社会常識のために新聞を読めと言うらしい。私は新聞を読み続けて、毎日事実を積み重ねた上でどう議論するか。人を説得するのに、事実を挙げないと説得力はない。自分の感情でスゲエと思うだけではダメだ。思うならばなぜそう思うかを書けと指導している。


新聞が事実を曲げる時代
 もともと主催者からは、こんな時代をジャーナリストはどう考えるかというタイトルをもらったが、私は最近マスコミ不審が募っているので変更して、「こんな時代だからこそ原点回帰を」とした。
 ジャーナリストといえば、読売の先輩として、前澤猛氏、本田靖春氏を紹介したい。
 前澤氏が論説委員で、その時代に自身が書いた社説を集め、『表現の自由が呼吸していた時代』という本を出版している。前澤氏はもともと司法記者である。1976年鬼頭判事補事件という現職裁判官の政治謀略事件をスクープした記者でもある。鬼頭判事補が当時の布施検事総長の声色を使って、ロッキード事件にからんで三木首相に対して「中曽根逮捕見送り、田中起訴」で指揮権発動してはどうかと電話した。そのやり取りの録音テープを読売新聞社に持ち込んで書かせようとしたが、そのトリックを見破って大スクープした記者です。ただし、この事件では、渡邊恒雄氏の工作で数か月間記事を発表できなかったそうです。
 その前澤氏は論説委員として活躍するが、1980年代初め、渡邊恒雄氏が論説委員長に着任してから、読売新聞が渡邊社論へと急旋回し、思うように社説を書けなくなった。それを印象付けたのは、自衛隊の憲法9条解釈をめぐる社説だった。
 茨城県の百里基地訴訟では、一審では違憲法令司法審査権を積極的に適用し憲法解釈して、自衛隊は憲法違反と判断した。しかし、二審では自衛隊の戦力判断について、高度な政治的判断を尊重するとして司法の審査対象外とした。司法審査権行使を積極的に支持した読売だが、渡邊論説委員長の下で、論調が逆転した。
 前澤さんはその経緯を著書の中でこう回想している。
 司法担当だった前澤氏は渡邊論説委員長に呼ばれた。前澤は従来の三権分立の立場から裁判所の決定に従うべしと言うと、渡邊論説委員長は国会が国の最高機関だから、裁判所も国会の決定に従うべきと主張した。前澤は、社論はこれまでも会議で決めてきたと言うと、渡邊氏は、社論を決めるのは私で、会議ではない。君にはこの社説は書かせない、と言ったという。
 こういう対立のあと、前澤氏は論説委員から外される。そこで退職後、彼は先の『表現の自由が呼吸をしていた時代』を出版して、渡邊氏を真っ向から批判した。
 もう一人、ノンフィクションライターとして活躍した本田氏は記者時代、日雇い労働者の山谷にもぐりこみ、黄色い血のキャンペーンをやった。
 ニコヨンと呼ばれた人たちは雨が降ると売血して生活をしのいだ。当時の日本の輸血システムは売血に頼っていて、そのためいろいろな問題が起きていた。彼はその実態をルポするために山谷にもぐりこみ、自分も何度も売血した。最後は70歳ぐらいで肝臓がんで亡くなった。そのときの使い回しの注射針のせいで、肝炎に感染したのだろうと言われている。
 当時は渡邊恒雄氏の前の独裁者・正力松太郎氏がいた時代で、読売の社会面には、毎日のように正力社長の言動が記事になって、大きく掲載されていた。正力コーナーと呼ばれるほどの専用欄が設けられていた。正力氏は一方で国会議員だったから、売名行為もいいところだ。そんな読売新聞に辟易して、本田氏は「ジャーナリズムは死んだ」の名言を残して、1970年代初めに退職した。退職後はたくさんのノンフィクション作品を描き、ノンフィクション作家の草分けとなった。遺作は講談社文庫「我、拗ね者として生涯を閉ず」。実は二人は同じ高校の1年先輩と後輩の関係。先ほど引用した前澤氏の著書は、本田氏の遺作に登場する。「読売社内における言論の自由が息も絶え絶えになっている状況に心を痛める『同憂の士』がいたことを知り、そうした問題におよそ無関心な遊軍(社会部記者)に囲まれて、独り精神的な孤独を味わった私にしてみれば、退社30年後に(前澤氏の著作に接し)一つの救いをみた」と述懐している。
 というわけで、二人の先輩の論に従えば、私は「表現の自由が呼吸せず」「ジャーナリズムが死んだ」時期に記者になったので、「ジャーナリストとして」などというおこがましいことは言えない。ましてや、今や大新聞が公然と一人の独裁的経営者に媚び、首相に媚びるような論調しか掲げなくなった時代だ。


ポエムのあふれる時代――事実が機能しない
 本講のタイトル“こんな時代”とは、事実が通用しなくなりつつある時代だと私は定義している。事実報道を一番大切にしている新聞社でさえ事実を曲げる時代であることを意味する。
 新聞社には会社に入るためでなく、新聞記者になるために入った。ところが最近の記者は実際に見た聞いた話でなく、会社の方針で記事を書く。さらも最近は読者にウケることを中心に書くようになっている。会社に入って出世する、自分の生活を守るために記事を書いている。事実が力を持たなくなってしまった。なぜこんなことになったのか、ため息ばかりの毎日だ。
 昨年2月号の「ライフビジョン」にNHKクローズアップ現代「あふれるポエム」(*1)について紹介したことがある。この番組は、心地よい言葉ばかりで中身が伴わないイベントや地方自治体の条例名までが空虚なポエムとなっている現象を批判的に紹介した。厳しい現実を覆い隠すように、ポエムのあふれる時代になってしまった。
 安倍首相の言葉はほとんど「ポエム」だから、安倍政権になってますます事実が問題とならない時代になってしまった。「安倍ポエム」は枚挙に暇がない。「レッテル貼りは止めて下さい」と、自分への批判に「レッテル」を貼って、批判をかわす戦略は、ある意味ですばらしい。 カムバック首相は一度目の失敗に懲りて、なかなか勉強をしてきている。
 最近一番「スゲェ!」 のは、「ポツダム宣言」をめぐる答弁だ。日本がポツダム宣言を受け入れたのは、広島、長崎原爆投下があって、無理やり認めさせられた、日本は自ら戦争責任を認めたわけではないといわんばかり解釈だが、受諾の経緯もでたらめ、しかも「詳しく読んでいない」と答弁した。
 この人が歴史修正主義者であることは明々白々であり、歴代首相ならばクビが飛ぶ発言だが、新聞が追及しない。一つ一つの発言が空虚なポエムに過ぎないので、失言があっても暴言があっても一過性の論議で終わってしまう。
 菅官房長官の記者会見発言もよく、「私はそう思わない」と終わる。じゃあどう思うのか、と新聞記者は聞かないのか。聞いたら答えられないはずなのに聞かない。


「こんな時代」の背景にあるインターネット文化
 私は授業で、実名報道、匿名報道の話をする。実名の重要性を理解してもらうためだ。新聞がなぜ実名報道かといえば、事実にこだわるからだ。匿名報道ではリアリティが生まれない。ところが、学生たちの反応は、意外に匿名支持である。ツイッターでは本名アカウント、別名アカウントの二つがあり、それぞれ本アカ、別アカと略すそうだ。(*2)学生たちは、本アカでは本音が言えないが別アカならば本音が言えるという。
 別アカには責任は伴わない。新聞の歴史は王侯貴族権力から市民の自由を勝ち取る、それが市民革命につながるのだが、やがて大衆社会の中でイエロージャーナリズムが戦争をあおる。日本の新聞がそうだったが、日清日露戦争を煽って新聞王国を作った。新聞は戦争と深いつながりがある。その反省に立って、自由だけでなく責任のあるプレスになっていく。第一次、二次大戦を経ていま新聞は、自由と責任あるプレスを自称しているが、残念ながらそうでない新聞もある。
 新聞記者は、情報は確認し、確認した情報を記事にする教育をされてきた。事実を確かめることは難しいが、それを仕事としてきた。間違えることもある。しかし今の時代は面白いかそうでないか。見やすいか見難いかで順位づけする。恐ろしい時代になっている。そして責任逃れの匿名で発信する。


事実を求めて原点に帰る
 いま私はマンション1650世帯の放送委員をしている。緊急時の構内放送が音割れして聞こえないので、各家庭に緊急放送用のFMラジオが配られている。災害があれば自動的に放送が流れるシステムだが、電源コードをつないでおく必要がある。
 そこでこういうラジオがあることを意識してもらうために、週一回、このFMを使って、構内ラジオ放送している。
 皆さんは仕事ではいくらでも働くのだが、コミュニティや家庭の仕事は時間の無駄、という発想が抜け切れない。私は抽選に当たっちゃってやり始めたのだが、こんなに大事な仕事はないと思いながら積極的に参加している。これまで単身赴任生活が長く、地域社会との付き合いがなさ過ぎた。自分たちが生きている家庭は地域社会の上にあるのだが、できるだけそういう時間を作りたくない人が多いのに驚く。あまりにも会社の仕事に合わせて生活時間を考えすぎる。
 もう一点、私の縁戚に農業、命、環境をテーマのシンガーソングファーマー・須貝智郎氏がいる。サクランボ農家の彼は毎年季節になると、全国から人を集めてサクランボ狩りコンサートを開くので、私は学生を連れて参加する。学生には裏方として、手伝わせるだが、イベントというのは必ず後方で、誰か支えている人がいるのを知ってもらうためだ。
 世の中には良い意味も悪い意味の仕掛けもいっぱいある。いまの学生はいつもお客さん意識で、自分が支えられていることも、仕掛けられていることもわからない。イベントに参加し、自分で裏方をやって見なければ物事はわからない。
 事実が見えなくなりつつある社会の中で、原点に帰ること。情報はやり取りするだけでなく、事実を踏まえてやり取りすることで、間違えのない社会、ちゃんとしたコミュニケーションができると思っている。(拍手)         (文責編集部)







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