RO通信 No.762 2009/2/2  ライフビジョン 奥井禮喜 日本経団連の怪しい雇用姿勢  連合は賃上げと雇用の二本立て、対する日本経団連は雇用問題に果敢に取り組むという。そこで、こんなときだから組合員はベアを辛抱して、非正規社員の雇用確保に尽力せよという声が出る。さらには、正規社員は非正規社員を緩衝材とし、犠牲にして自分たちの立場を守っているという非難もある。  最近、派遣切りという言葉が登場したが、先のバブル崩壊以後、派遣型雇用が拡大しており、それはまさしく、いつでも雇用調整が柔軟にできることを期待する使用者側の事情から発生したものであることは疑いがない。  それゆえ、金融危機の発生、不況の進行に対して、使用者は直ちに派遣の契約打ち切りという手段に出た。もともとわが国の経営者には雇用調整が容易にできないことが強い不満であるから、目論みは見事成功という次第だ。  派遣切りというような言葉が登場したのは、要するに、問題になっている派遣会社たるものが、自社社員とのきちんとした契約を持っていないことを露呈させた。もし、派遣会社内の労働条件がしっかりしていれば、派遣先との契約解除は、あって当然、大慌てになることはないのである。  つまり、問題になっている派遣会社は、体裁を繕った「人集め」会社なのであって、派遣会社自体が、派遣先会社にべったり依存しているのである。  わが国労働市場を概観すれば、一見、派遣によって労働者が自由に職場を選択・移動できるかのような錯覚を与えているが、一皮剥けば、使用者が雇用調整を最大限自由にできる仕掛けになっているに過ぎない。どう見ても、現在の派遣制度は基本から再検討するのがスジである。  現在の派遣制度が遺漏なく存在するためには、労働者において、いつでも自由に仕事を変わられる主体的条件が必要である。本来の契約の姿からすれば、使用者は雇用したいときだけ雇う、労働者は働きたいときだけ雇われるという関係になるが、働きたいときだけ働けばよい労働者は圧倒的少数だ。  だから、労働基準法において、使用者が容易に解雇権を使えないようにしてあるのであって、その伝からすれば、現在の派遣制度は大きく見て労働基準法を実質的に破壊してきたと言わざるをえない。  さて、雇用が大事だと主張する日本経団連だが、果たしてどの程度本気であろうか。会長名による経営労働政策委員会報告「序文」によれば「官民が協力しながら雇用問題に果敢に取り組む必要性が高まっており、雇用のセーフティネットの拡充など、政府が積極的な役割を果たすことが期待される。」とあり、前段は官民だが、後段は政府に責任をおっかぶせている。  官民、とりわけ第一に大企業経営者の尽力が問われるのは当然ではなかろうか。そもそも、今回の派遣切りを率先垂範やってのけたのが、会長の会社なのだから、何をかいわんやと言いたくなる。  さらに「企業は自社の売り上げや利益を追うだけでなく、社会や国、世界に貢献し、信頼を得ていかねばならない。経営者は、経済社会に不可欠な《社会の公器》の運営を委ねられているとの自覚と、高い倫理観をもって経営に専心していく必要がある。」と格調高い文言が続く。  これを素直に解釈すれば、経済のサブシステムとしての企業は、社会のために存在しているのである。企業の社会的責任CSRの根本が、雇用にあるというのは常識であるから、まさかそれを失念したわけではあるまい。  組合員がベアを要求するのは当然の権利である。なぜなら、彼らも労働力を売って生活の糧たる所得を稼ぐのであるから、自分の労働力の価値に関して正々堂々要求するのが批判される筋合いはさらさらない。  組合員の賃金も好況が長く続いたというものの、マイナス基調である。要するに、派遣社員の給料分を組合員が食べていたのではない。むしろ、使用者は、派遣によって安い労働力を購入できるのだから、組合員の賃金を抑えてきたのである。正規社員・非正規社員の区分を作ったのは組合ではない。  組合員諸君に忘れてほしくないことがある。労働者に正規・非正規の区分は存在しない。労働力の売り手側が内部で強い競争関係にあったり、安い賃金で働く人が増えれば、需要と供給の関係を指摘するまでもなく、組合員の労働条件も必ず引き下げられるのである。そして、非正規社員の雇用を守ることは組合員の雇用を守ることと同じなのである。