RO通信 No.757 2008/12/29  ライフビジョン 奥井禮喜 労働時間適正化の好機  わが国の長時間労働、残業の日常化は昔から定評がある。1980年代まで経営側は、不況になっても米国のように即刻雇用調整しないためのバッファであり、雇用を維持しつつ生産対応の柔軟性を維持すると主張していた。  また戦後から1970年代くらいまでは、低賃金だったから、ある程度の残業をして家計を補填したいとする労働者の本音もあった。当時は、だからベア交渉期となれば、組合活動の盛り上がりを見せていた。  人事マンは「労働力を採用したのではない。彼の人生を預かったのだ」というロマンを持っていた。人事面から経営中枢を担う人事部門としては、馘首するなどは人事政策の失敗だという矜持を持ち合わせていた。  それが一転したのは1980年代後半からバブルに突っ走り、ベア交渉が切実感を喪失し、さらには1990年代前半にバブルが弾けて、右往左往、てんやわんやしたのが契機である。  儲ければよろしい、儲けなければならないという気風が高まる。経営においては、利潤追求・コスト削減が絶対化されるようになり、リストラクチャリングが再構築ならぬ馘首と同義語化してしまった。  もともと人事部門は直接利益を生む部門ではない。平常時には、ともすれば他部門から「無駄飯食い」として陰口を叩かれる傾向にあった。まして経営絶不調ともなれば、人事部門に対する厳しい視線が気がかりである。  まず、人事部門生き残り作戦が展開された。「役立たずは去れ」論である。成果主義はその延長線上に登場する。「製品を作る前に人を作る」という意気地など、いずこかへ置き忘れたらしい。  「終身雇用」「年功序列」を槍玉に挙げた。しかし、それを推進してきたのは他ならぬ人事部門である。1980年代にコーポレート・アイデンティティを適当に展開したこともまたそ知らぬ顔である。  1980年代初め、「大企業病」が批判され、人事部門は「自己啓発」の旗を振った。しかし、「ほうれんそうが会社を強くする」というような低次元の雰囲気が醸成された。まさに時代逆行の思想である。  1960年代には「大きな顔をする部下を育てよ」というのが管理者に対する叱咤激励だった。これこそが王道である。まさに大胆な権限委譲ができる組織こそ発展するのであるから。この思想なくして人は育たない。  それが十分に実るような組織文化を育てられなかったから、1980年代に大企業病、すなわち官僚主義の蔓延という体たらくになった。その反省もなく、不況になって、「コスト削減=人減らし」に短絡する人事施策を展開した。  リストラで組織の尻尾切りが華々しくおこなわれ、資本増殖主義者たちの声援をうけて、人減らしすれば株が上がるという事態になった。かつての人事部門の矜持など探しても見つからない。  徹底的に人を減らす。人員減少しても生産を減らすのではないから、生産現場においては、恒常的に長時間残業が組み込まれている。さらに正社員よりも数段労働条件が低くてすむ非正規社員採用で生産をしのいできた。  今回の金融危機による世界同時不況は、世界的規模における資産バブルの崩壊である。先回国内バブル崩壊で学習した企業は、早々に非正規社員で雇用調整する挙に出た。経営が苦しいから仕方がないではすまない。  正規社員を守るために非正規社員に手をつけるという見方は正しくない。それだけで間に合わないとなれば、次は正規社員の雇用削減である。なぜなら、資本増殖という立場からすれば正規も非正規もないからだ。  働く人は労働力を売る立場である。経営は買う立場である。売る側が過剰であれば買う側が有利である。売る側が内部で激しく競争すれば、買う側はますます有利になる。働く人は労働力を売らずには生活できない。  大きい目でみれば雇用されて働く人がざっと5000万人いる。失業者が巷に溢れることは、いかに政治で面倒みろといっても限界がある。だから、すべての働く人は、完全雇用に近づける努力を常にやらねばならない。  長時間残業が恒常化し、有給休暇がじゃんじゃん切り捨てられている。マクロで見れば、あきらかに雇用を縮小させる働きをしている。雇用確保のために、労働時間を適正化する好機としようではないか。