RO通信 No.728 2008/6/16  ライフビジョン 奥井禮喜 尋ね人の時間  人類が、いわゆる呪術的世界観を克服したのは、さして昔の話ではない。なおかつ現在においても呪術的世界観は健在だ。  スピリチュアspirituality(霊性・神聖)と言えばお洒落だが、心霊術師もどきがテレビ常連として登場し、でかい面して証明もできぬことをしゃべくりまくるなど幼稚である。気晴らし、お遊びのつもりでじゃんじゃんオツムに無知蒙昧が刷り込まれる。  こんな番組の氾濫は危険である。事実、オウム騒動1995後も似たような怪しい宗教団体事件は後を絶たない。  だから完璧に呪術的世界観を克服したとは到底言えないのであるが、とりあえず、歴史的通念上、世界的に呪術的世界観ではなく、近代的合理的世界観が主流派となったのは、だいたい封建社会の終焉と同じ時期だと考える。  宗教改革、ルネサンス、フランス革命、産業革命などの本質が、遍く人々に学ばれ、理解されなければ近代の意義は理解できないし、今後の進化も望めないのではなかろうか。  とりわけわが国には、宗教改革・ルネサンスに相当する頭脳訓練期間がない。欧州諸国においては、宗教改革・ルネサンスが、啓蒙主義時代を生み、それが産業革命の科学的精神をも生み、教養重視の文化になった。  わが国の民主主義精神の脆弱さ、学力論争における浅薄さ、コミュニケーションや自己主張のお粗末さなどなどに思いを馳せるとき、明治維新後の日本人が、十分に学ばず、見落としてきた近代的精神を学び直さねばならないことを痛感する。  人間の祖先は160万年前に二本足歩行するようになり、猿から分離したとされる。人類が、火や道具を使えるようになったのは100万年前、農業を発明したのが12000年前、産業革命が250年前である。  人類において、歴史的時間で見れば、呪術的世界観の期間のほうが、圧倒している。いわば、250年対1600000年であり、近代的合理的世界観の期間は、人類にとって、たったの0.0001562、0.01%でしかない。  敷衍して、もし、人類の祖型Architecture(モノや文様などの素になる型)が呪術であるとするならば、さらに人類の遺伝子DNA(生物の個々の遺伝形質を発現させる素になるもの)が、そうだとするならば、近代以降の人類の歴史というものは、疑いなく、常に呪術的世界観の保守的力と対決してきたのであるし、対決し続ける「意志」を確立しなければ、いつでも呪術的世界観に支配される可能性を否定できないだろう。そもそも遺伝子は決定的に保守的なものであることを忘れてはなるまい。  数日前偶然、テレビで「異国の丘」が流れてきた。1948吉田正作曲で一世風靡した歌謡曲だ。吉田は1921、大正10年の生まれである。1945年敗戦と同時に大陸で捕虜となりソ連抑留されて、自分の体験を曲にした。  思い出す。戦後、NHKラジオ第一放送で「尋ね人の時間」というのがあった。ちょっと調べてみたら朝8:30〜8:45までの時間。戦争で生き別れになった人たちを放送で探した。男性アナウンサーが淡々と、短い時間にたくさんの尋ね人を読み上げた。その抑制された声が聞こえてくると、まだ子供であったけれど、粛然としたものであったなあ。  「がまんだ、待ってろ、嵐が過ぎりゃ、帰る日もくる、春がくる」だったか、物悲しい歌詞と曲だが、この歌で、皆さん、どんなに励まされたか。  しかし、人間なんて、いつも「異国の丘」にいるのではあるまいか。厳密に言えば、「自分が何ものなのか」だって分からない。  無知蒙昧、幼稚野蛮な精神状態と、目立ちたい主義、つまりバンダリズムが目立つ社会だけれど、自分のために耐えて、自分のために「尋ね人」したいものじゃないか。騒々しい報道番組なるものを見つつ考えた。  近代社会は、ルネサンスによって、呪術的世界観を克服し、人間なるものに、強い光を当てるようになった。  そして、「自我」という言葉が台頭した。自我とジコチュー、孤独と孤立の区別がつかない状況が開始したのでもある。皮肉である。それに耐える群れの文化を構築せにゃならぬ。