RO通信 No.646 2006/12/11  ライフビジョン 奥井禮喜 有給休暇  ビジネスマンたるもの、有給休暇活用できずして一丁前と言えず。わが国の有給休暇事情は「猫に小判、サラリーマンに有給休暇」という体たらくである。有給休暇取得率なんて言葉は日本の専売特許である。恥ずかしい。  下手をすると週休二日取得率、サービス労働人員率なんてのも新たな労働指標にしなければならないと私は心を痛めている次第である。実際おふざけを言っている場合ではないのであって、皆様に本気で考えていただきたい。  大昔、「わしは風邪を引いたくらいでは有給休暇を取らなかった。」とほざく先輩がいた。戦前・戦争中の「勤労第一」「兵隊さんは戦地で死ぬ。銃後の私は職場で死ぬ」の気概なのだろうか。こいつは無知やと思った。  有給休暇を請求する用紙が「有給休暇取得願い」となっていた。「ナンだ、願いとは。有給休暇は労働者の固有の権利と違うのか。」組合役員に噛み付いた。役員氏はもたもたぐずぐず、ろくな返事が戻ってこない。頭にきた。  「休ませていただく」のではない。「休むのだ」。有給休暇は本質的には現物(時間)支給の給与である。サービス労働の以前に、すでに給与返上してあっけらかんとしている方々のなんと多いことか。嗚呼。  そのくせ、「あなたにとって仕事とは何ですか?」と問えば、「生活の糧に決まっとるやろ。働かずして食べられたら誰が働くか。」などと気の利いたつもりで頓珍漢な台詞を吐く。まったく分かっていないじゃないか。嗚呼。  はたまた「そりゃあ休みたいですよ。しかし私が休んだら同僚に迷惑がかかる。」あたかも「余人を以って替えがたし」のお言葉。謙遜な日本人はどこへ行った。他人が言わぬのに自分で自己満足的評価をするなと言いたい。  たとえば従業員健康診断で引っかかって、2〜3日精密検査を受けに行かれたらよろしい。同僚は「あいつ顔色よくないしなあ。」「そう言えば、ここんとこ仕事ぶりも精彩欠いてるわなあ。いや、前からそうだったかな。」  かかる次第で、直ちに職場では「余人を以って替えがたし方」の穴埋め対策が行われる。検査終えて無事ご生還の暁には、口には出さねど「ナンや、たいしたことなかったんかいな」ってなところでありましょうな。  「あなたが抜けても会社は動く」。これ、かつて私が有給休暇長期計画取得キャンペーンにおいて発案した秀逸コピーである。糸井某の名コピー「おいしい生活」(1982)に匹敵する、いやそれ以上に明快な訴求力であるぞ。 まことにみみっちい話であるが経営としては従業員が休暇を取らないのを好むらしい。昔は休暇請求すると嫌な顔をする管理職が少なくなかった。今日ではまさか嫌味を言うたり嫌な顔はなさらぬでしょうが。  とすれば問題は休暇を取る側にありはせぬか。「同僚に迷惑」論をぶつ手合いは、実は同僚が休暇を取った場合に「あの野郎、迷惑かけやがって。」とお考えになるのであろう。これが怪しからんのである。  そもそも組合というのは労働条件維持向上のためにあるのではないか。そのために連帯してがんばるのではなかったか。ところが休暇については、奇妙なことに「連帯」して休暇を取らないのである。  話を逆転させねばならぬ。「あんたが休むときは私がカバーするから、私のときもよろしく。」とやれば、お互いに休む工夫ができようというもの。人員不足なら、なにゆえ堂々と要求しないのであろうか。まったく分からん。  こんな調子だから厚生労働省のお節介がなくならない。労働政策審議会(厚労相の諮問機関)労働条件分科会に提出する労働ルール改革最終報告案に5日分を上限に有給休暇を1時間単位で取得できる制度を提案する。  2004年度有給休暇取得平均8.4日・取得率46%。何で細切れにせねばならないのか。育児や介護など生活に合わせて休暇を消化しやすくなると日経新聞は書くが、有給休暇の本来の在り方もご存知ないらしい。  さらに「健康維持のための休息という本来の目的と矛盾」云々とも書いているが、何が本来の目的か。健康維持のために休暇を取るのではない。それは40時間/週労働と週休二日制の機能である。有給休暇はふだんとは異なった休み方をしてマンネリ化した日常生活にカツを入れるものである。  そのためには有給休暇は長期計画的取得をしてこそ本来の意義が輝くのである。ワーク・ライフバランス論など聞いてあきれる日本的事情である。