-元気の哲学 平凡な志のススメ立ち読み

三五館
本体1,359円+税
B6版/本文222頁
ハードカバー
<目次>
はじめに
1 会社主義のかげり
2 志ある不満
3 ふさわしいゆとり
4 目標こそ、元気の素
5 習慣を撃て
6 ライフスタイルの発見

はじめに
 この本はサラリーマンの方々が日々を「元気に暮らす」ための哲学をつづったも のである。
 経済大国の日本で一九八〇年代後半頃から「豊かさ・ゆとりが感じられない」と いう言葉がしばしば語られるようになった。
 「モノから心へ」と叫ばれ、経済的繁栄やハードの追求だけでは幸福感を手にす ることができない、元気が出ない、ということに気がついてきたのだが、では具体 的にどんな生き方をすればいいのかとなると、なかなか知恵がわかなかった。そう こうしているうちにバブルがはじけて、またまた経済だけに注目が集まるような状 況に逆転してしまっている。
 しかし、「人はパンのみに生きるに非ず」である。生きるために食べるのであっ て、食べるために生きているのではなかろう。では、「いかに生きるべきか」。その 回答はなかなか見つからない。一生「いかに生きるべきか」を探しもとめて終わる かもしれない。だから人生で大事なことは、元気で徘徊し続けることではないかと 私は思うのだ。
 おそらく一九九〇年代は、後にふりかえれば「心の時代」の開幕になるのではな いかという予感がある。しかし敗戦後の五十年間を営々として経済至上主義の道を 追求してきた日本人の「慣性」からすれば、それは容易なことではない。
 元気人生の鍵は「自分自身」にある。
「心の時代」という以上、まず自分自身を再発見しなければならない。にもかかわ らず、そもそも「私」にとって私は何ものか」の回答すら出しにくい。これは大問 題だ。
 フランスの作家アルベール・カミュは名作『異邦人』の中で主人公ムルソーにこ う言わせた。
 「僕は僕自身にとって異邦人だ」
 この言葉はいつも私をひきつける。だからこそ自分自身の発見の旅に出なければ ならない。それはじつに興味深いのであるが、時として気の遠くなるような茫漠と した世界が広がるのを痛感する。だからカミュのいった次の言葉に励まされたりす る。
 「いったい、自分が自分の存在をいつも感じていられるということ以上に、より 願わしい祈願がはたしてあるのだろうか?」(『手帳』より)
 元気とは明らかに何かを追求している状態である。しばしば敗戦後の貧しかった 時代を回顧して人はいう、「あの頃は豊かではなかったが、不幸ではなかった」と。 これは、単に若い頃の甘酸っぱい思いに浸る姿ではなくて、人生の手応えがいかな るものであるのか、元気がいかなるものであるのかを示唆していると思う。
 現代に生きる人びとは、なぜか手応えのない暮らしの渦中にあるらしい。にもか かわらず、それは明確な不満として登場せず、さりとて手応えがない日々なのだか ら満足感もまたない。まさに、このニュートラルな状態こそが非元気なのであり、 「豊かさ・ゆとりが感じられない」という雰囲気なのにちがいない。かくして元気 のために必要なのは、たとえば「志ある不満」を確保することであると考える。
 昨今の日本は元気がない。政治や経済だけではない。社会もまた、なぜか輝きを 失っているみたいではないか。
 社会の元気とは個人の元気の総和である。私がもっとも嫌いな態度は、社会の問 題状況を指弾しつつ、自分がそのなかに立っていることを忌避する発想や行動であ る。
 私は「孤独ではあっても孤立するべきではない」といいたい。個性は孤独なもの である。しかし、いや、だからこそ個性は連帯を求めるべきなのだ。自分が現代と 言う状況の中に生きていることを常に意識して、社会的存在としてかかわりつづけ なければ、社会の元気は得られない。
 私は四半世紀近く、いわゆる「人生設計システム」と関わり、それを「ライフビ ジョン」(人生構想。筆者の登録商標)として提唱し続けてきた。人生には自分な りのビジョン(構想)が必要だ。ビジョンを掲げて生きているから元気な人生にな ると確信している。この本では、私自身の「ライフビジョン」というレンズを通し て、個人の生き方と、社会的状況を見つめてみた。
 私のライフビジョン・セミナーでは少なからぬ人びとが「平凡な人生だなあ」と 語る。この言葉に私は共感の連帯をする。人生は平凡な日々の繰り返しである。だ からこそ元気人生のためには「平凡な人生にスポットを当てる」ことが不可欠なの だ。
 なお、本書には「岐阜県ゆとり創造推進会議」での四年間の愉快な討議を通じて 得たエキスが各所に盛り込まれている。委員、関係者の皆様に深甚なる感謝を捧げ たい。
 またあいついで彼方へ旅立たれた、尊敬する宇宙技術のパイオニア・森川洋氏、 社会人となって以来の親友・川原信哉氏に、そして「ライフビジョン」の同志のみ なさまに本書を捧げたい。
一九九六年二月 奥井禮喜