-元気の思想 仕事・余暇・暮し立ち読み

NTT出版
本体1,500円+税
A5版/本文280頁
ハードカバー

日経流通新聞 書評
ペンクラブ特別賞受賞
<目次>
はじめに
漂う中流意識……仕事編
漂う中流意識……余暇編
漂う中流意識……暮し編
職業生涯の意義
世紀末、組合は何をやったか
新たなる冒険の可能性
終わりに……四畳半の高等遊民

はじめに
人はしばしば退屈を訴え、おもしろくない日々に不満を言う。そして退屈を紛ら わせるために手慰みや気晴らしの迷路に入る。それらはまた退屈を呼ぶだけだ。習 慣の動物としての人間は退屈をも習慣化して、やがては元気喪失の道をたどる。「い かに生きるべきか」「いかにすれば元気な人生を作れるか」。これ、人生の大事。元 気人生とは、一人ひとりが自分の人生を自由に追求している状態であろう。自由な 人生とは何だろうか。

中流意識への接近
わが国において、中流意識が九十%を超えたのは一九八四年。人々は「上を見ればきり がない、下を見てもきりがない」「お隣りとうちは同じ程度」「私が平均的日本人」、つ まりほどほど、こんなもんじゃろという意識にある。ところで「ゆたかさ・ゆとりが感じ られない」と言うようになったのも八〇年代半ばである。それにしても経済大国の、中流 意識抱える人々が「ゆたかさ・ゆとりが感じられない」と言う奇妙。
現代人は昔とは比較にならぬ自由な生き方を追求しているはずだけれど、なぜか見事に 元気がなくなった。お金やモノをもつことが元気を増産しないらしい。所有することが幸 福ではないらしい。ならば中流意識九十%の実像に接近してみれば、元気状態のなんたる かを理解できるのではないか。甘口でなく辛口で、感情でなく論理で、多少苦いかもしれ ないけれど、良薬は口に苦しとも言うし。
良くも悪くも中流意識に浸っている人々が日本を建設している。社会の元気は個人の元 気の総和として現れる。個人主義が日本を覆っている。人は自由に生きたい存在ではある けれど、絶対的自由に生きている人はいない。名も知らず、会ったこともない人々が網の 目のように支えあい、協力しあって、日々の暮しを作っている。その当たり前の感動を見 直したい。
個人の実存はあまねく他者との共存である。一人だけでは生きられない。個人主義は社 会的関係においてはじめて成立する。現代社会は壮大な協同システムである。人間の社会 化という素晴らしいシステムである。同時に、それを維持発展させることは、人々が背負 った深遠な課題である。単純な個人主義信奉から目覚めなければならない。経済大国は人々の協同の輝ける成果であったはずなのだから。
昨今、元気のない見本の一つに組合があげられるが、一九七〇年代まで組合活動の推進 力は、中卒、現業、不満分子であり、活動基盤はまさにランク&ファイルであった。中間 層はだいたい不活発な大衆を構成する。これ組合に限らない。わが国では、勤め人階層が 圧倒的多数であるのに、たいした社会的力を発揮していない。中流意識九十%、大部分の 人々は中間層(意識)にどっぷり浸り切って、まさしく不活発という形で社会を維持して いる。
歴史は支配意識をもつ人々と被支配意識をもつ人々によって動く物理学みたいなもの。 たとえば、辞書(ルール)を作るのは最高のインテリジェンスである。失敗者、不適応者、浮浪者、犯罪者たちは、辞書にはまったく敬意を払わない。辞書をひたすら遵守するのは中間層である。
現在の勤め人たる労働者たちは、(労働者という言葉すらも蔑視して)表面的には中流 意識という満足感に浸っているのであるけれど、大部分のホワイトカラー(だと思ってい る)は、所詮、伝統的には貧困階層に過ぎない。職場を失えばそれっきり。バブル当時、 就職情報誌コピー「職場を上着のように着替えよう」というのがあった。本当にそうなら いいんだけれど。
個人の元気の総和が組織・社会の元気を構成するという見地からすれば、おそらく今の 日本の元気低迷は、(圧倒的多数の、中流意識の)ホワイトカラー層の元気低迷と密接に 関連しているはずである。運動のエネルギーは欲求不満である。ホワイトカラー、中流意 識の方々は手応えある日々を感じておられるのだろうか。ひょっとしたら、空虚な気分に 埋没しているのではないのだろうか。空虚も満足感も変化を起すエネルギーにはならない。
極貧者には目的がある。喫緊に食べる手立てを必要とする以上、彼らは空虚から解放さ れている。彼らが大衆運動を組織できないのは、目下極めて少数派であり、食べられて雨 露しのげればいいという程度の目的状態にあるからである。実際、貧困であるからとて、 必ず欲求不満の塊となるとは限らない。売れない文筆家や芸術家が「私の作品を買え」な どと抗議デモをやらない。彼らは自分の創造性を発揮できることによって欲求不満になら ないのである。
欲求不満の強さは、目的までの距離に比例する。必需品すでに手にした中流意識の方々 は「ぜいたく品」のほうにこだわる。バブル当時、ぜいたく品がたくさん売れた。だから ブランド品を並べまくった百貨店が活況であった。必需品はすでに十分手元にある。
福袋が人気である。福袋とは商品のマスキングだ。人気のなくなったプロレスラーが覆 面して悪役演ずるイメチェン作戦。マスキング商品が売れる。消費者は本当に欲しい物が あるならマスクした商品に手を出したりしない。つまり「何かおもろいことないか」とい う「期待」を買う。期待は気体、空気みたい、ふわふわ気分では欲求不満を蓄積しない。 なにもかも不足しているときより、一つだけ不足しているときのほうが欲求不満は強い。 今の消費者は、格別不足しているものはないし、是非これはという強烈な刺激をもった商 品が見当たらない。だから、たまたま二十五万円のロボットワンチャンが一万台だけ売り 出されると、その稀少価値に人々は群がる。お金がないわけでもないらしいし。
人々の意識が多様化しているとも言われる。意識が多様化しているというのは、それだ け人々の自由度が拡大しているのである。真に自由な人はさまざまな試みに挑戦し、失敗 すれば欲求不満を高める。しかし、今のわが国では挑戦という言葉にあまり出会わない。 人々は自由なはずであるけれど、自信なく無力感にとらわれているかもしれない。自己が 無力であれば、自由は何の有益でもない。自由という馬は格好いいが乗りこなすのは難し い。
今は昔、ある若いナチス党員は「自由から自由になるためにナチス党に参加した」と語 った。この言葉おおいに含蓄があるんじゃないだろうか。
大衆運動が高揚するためには、人々がかなりの自由度をもち、しかも欲求不満の緩衝材 があってはいけない。今や、元気がない人々は自分自身に退屈と倦怠を感じている(はず だ)。にもかかわらず相対的な存在である人は、もっとも身近な自分を見つめて思考する のを避け、その分周囲に辛らつな視線を向けてしまう。情報とは言いえぬのぞき番組を放 送するテレビ、スキャンダル、エログロ、ナンセンス満載の週刊誌・夕刊紙などが、手近 な気晴らし、欲求不満の緩衝材の役割を果たしている。自由を持て余している人々の欲求 不満をガス抜きする。
元気がないのは、本当は満足していないからだ。満たされない空虚な心。その心の隙間 を埋めるのは、何らかの癒しでもあるが、一方「世の中これからどうなるか分からんぞ」 という恫喝もおおいに力を発揮する。恫喝は人々から自信と自由を奪う。ぼやぼやしとっ たらあかん。落ちこぼれんようにせなあかん。そこで人々はこぞって中流意識にしがみつ こうとする。つまり現状維持できれば満足という構図が見える。
空虚な心をこそ見つめ続けねばならぬ。心にぽっかり穴が開いている。その穴から逃避 していては人生の快楽を得られない。「心を尽くして、狭き門より入れ」と言うではない か。
職業生涯の舞台は「仕事・余暇・暮し」にある。元気のヒントは「仕事・余暇・ 暮し」そのものの中に隠されている。「仕事・余暇・暮しをたのしむ」ための理念・ 戦略が必要だ。孤独な存在としての人間が他者の有益な存在として生きることによ って、社会的な元気が湧く。理想を失った人の多い社会は元気がない。個人主義の 幻想を捨てねばならない。
わが国においては組合の停滞が著しい。絶対的にお金やモノを追求する時代が過ぎ、お 金やモノでは元気が出ないことが分かってなお、お金やモノの追求を軸とした運動に固執 するからだ。人はパンがなければ生きられないけれど、パンが人生の目的ではない。パン を食べて、今、人生の扉の前に立っていることを認識しなければならない。組合を作って いるのは組合員だ。挑戦する組合は挑戦する組合員が創造する。

百人のインタビュー
NTT労組群馬県支部。百人の方々の協力を得て仕事、余暇、暮し、人生観を語 ってもらった。一人一時間、百人百時間に及んだ。インタビューしたのは、民営化 後最大の分割化、組織再編の最中、一九九九年一月から三月であった。
私は、アンケート嫌いである。紋切り型質問には紋切り型回答しか出てこない。 できる限り自然に、本人が自分自身を語るように、面接調査のような個別具体的な 質問にこだわらず流れるように。本人の思考が断片的になったり、誘導されるのは 極力避けたい。本人が語るべきことをもっていれば(必ずもっているのだから)、イ ンタビュアーのちょっとした触媒作用によって、それが自然に吐き出されるであろ う。語りたくないことを語る必要はない、語らないのも明かな意志表示である。偽 らざる本心にこそ出会いたい。
実際、百人の方々は雄弁であった。混沌、困惑、難儀、苦悩、建前、本音、不安、 不満、苛々、嘲笑、諦念、満足、達観、鷹揚、憤怒、怨嗟、配慮、自信、失意、哀 愁、後悔、逃避、覚悟、決意、喜び、誇り、信頼、不信、退屈、倦怠、懐疑、悲観、 楽観、虚無、期待、希望、夢、理想……ひょいと浮んだ心象風景を数え上げれば限 りない。沈思黙考するかと思えば、ひたすら語り、同意を求め、笑い、感情が高ぶ って涙ぐむ人もいた。
毎日こんな調子では、とてもじゃないが疲労困憊してしまう。聞くほうものぞき 趣味を満足するなんて気分じゃない。一日、四、五人をインタビューしたのだけれ ど、灰色のわが脳細胞は混雑し、息切れする。それにしても、どこかの馬の骨が現 れて、ちょいと突ついただけで、個性的人生のさまざまが顔を出す。その事実だけ でも嬉しくなる。元気はそこまで来ているよ。
いつ、どこでどうしてライフスタイルが形成されたのか、たぶん本人すら特定す るのは容易ではないだろう。人間なんて本来ぐにゃぐにゃして頼りないものだ。厳 しい社会状況で鍛えられ、研ぎ澄まされ、さらに納得できる日々を過ごすために自 らを鍛えつつ、ひたすら人生そのものを消費する。その習慣の中からライフスタイ ルが形成されるのにちがいない。
「人生において、ある意味では習慣がすべてである」(三木清)。まさしく、まさ しく。
昨今、「忙しい」という言葉にかまけて「退屈」を「退屈」と思わず、退屈人生に 「倦怠」を感じず、「がんばる」なんて言葉を死語にしてしまった。「倦怠」なく「が んばる」なく、それでは一億総ロボット化ではないか。と、ぶつくさ言っていたの だけれど、語り続けてくださる方々を注視、拝聴していると、世の中、まんざら捨 てたもんじゃない。
さりとて誰もが日々の人生に手応えを感じつつ生きているというわけでもない。 だから世の中いまいち元気不足。いきいき元気に生きるのは、たいした芸である。 百人の芸、百人の生きている芸術。


各章のサワリ

漂う中流意識……仕事編
 日本全国蔓延する中流意識。わが国の現状は良くも悪くも中流意識の中にあり。どっぷり中流たる勤め人諸氏はいかなる仕事意識をおもちであろうか。勤労第一主義は遠のいたというものの仕事こそ勤め人における社会参加の基盤。仕事が人生に占める重たさ生半ならず。
いきいき働くからこそ社会の元気。登場してくださるのはNTT労組群馬県支部百人の皆さま。

漂う中流意識……余暇編
 中流ともなれば自分の生きたいように生きているはず。それ、余暇の過ごし方に著 しいのではないか。時間短縮、余暇志向、個性時代の昨今。余暇を巡って趣味の達人、 仕事趣味人、無趣味の達人あり。人生は消費だ。精一杯ぜいたくに生きたい。しかし、 なぜか高い余暇の敷居。忙しいほど余暇を求める。自由ゆえに遊べない。NTT労組 群馬県支部の百人の皆さま。

漂う中流意識……暮し編
 今、暮し向きの悩みを語る人はいない。まさしく衣食足りた。「家庭に帰れ」と 言われるが、今や家庭は憩いの場ではないみたい。仕事で疲れ、家庭で疲れる。親 子像は見えるが夫婦像が見えにくい。緊張感なき夫婦。結婚生活の意義とは持続す る志にあり、か。封建的家制度の崩壊後、何が家族の紐帯なのか。そして介護問題。 NTT労組群馬県支部百人の皆さま。

職業生涯の意義
 勤め人は職業生涯を過ごしている。職業生涯の意義とは「仕事・余暇・暮しをたの しむ」ことに尽きる。中流意識の向こうになぜか退屈の翳りが見える。退屈的時間は 退屈的人生に通じる。ならば退屈に倦怠を感じなくちゃいかん。「仕事・余暇・暮し」 をもう一度見直してみよう。相対元気でなく絶対元気で生きるために、いったい何が 大切なのか。

世紀末、組合は何をやったか
 NTT労組群馬県支部、会社の組織再編で分割されたが、組合連結すればざっと三 千人ほど。規模はさして大きくはない群馬県の一組合だけれど、時代状況を追求し、 組合員の生きがい提案を模索し、社会的存在感のある活動をめざして果敢に行動する。 キーワードは「人生を徹底的に思索する」そして、「意義ある生き方を連帯させるこ と」に尽きる。その一部をご紹介。

新たなる冒険の可能性
 組合嫌いの人は少なくない。徒党を組むのが嫌な人、組合から権力の匂いを嗅ぎ取 る人、かつてのイデオロギー偏向が忘れられない人もいるだろう。今更賃上げでもな いと考えているかもしれない。しかし、バブル崩壊後に勤め人がおかれた状況は、連 帯なき徒手空拳の頼りなさそのものであった。個人と組織と両方の視点から、組合を 見直してみようではないか。



「元気の思想」波紋拡大中!

仕事にロマンを抱けず、家庭に夢を描けない現代人。衣食足りてなお心が満たされないのは何故か。豊かな社会、日本は沈滞し続けるのか。本書は労働組合活動で多くの実績を誇る筆者が、日本電信電話(NTT)労組群馬県支部での百人アンケートを元に、現代の生きがいや働き甲斐について考察したものである。

自分探しや自己実現とは仕事を通じて、或いは職場での人間関係の中から生まれてくることを再確認し、不満、不機嫌だらけに見えても、多くの人々の心の底には「元気の素」が隠されていることを具体的な事例から明らかにする。独特のリズムを持った文体が、はちゃめちゃな自らの青春時代を語った最終章に生かされていて、とりわけ面白い。読後、何となく元気がわいてきそうな本である。(T)

(2000年9月12日 日経流通新聞「読書論壇」より)

2000年度日本労働ペンクラブ賞特別賞受賞

 この7月、NTT出版より刊行した奥井禮喜著「元気の思想」がこのほど、2000年度日本労働ペンクラブ賞特別賞を受賞しました。
 日本労働ペンクラブ(代表矢加部勝美)は新聞・通信・放送・出版や講演・執筆・言論活動を通じて、主として労働問題の報道・解説・評論・研究に従事するメンバーを組織する団体です。
 山崎光平・日本労働ペンクラブ代表代理は、本書を次のようにご推薦下さいました。
 著者は三菱電機労働組合在職中に「生涯ライフプラン」の概念をいち早く提唱し、以後の各種ライフビジョン構想の先駆をなした。その後独立して自らの構想の実現に向けて月刊「ライフビジョン」を創刊するとともに、さまざまな企画を実施、またライフビジョン学会も創立、実践・助言・研究と幅広い活動を展開してきた。今回の著作は長年の実績を背景に、その理念の展開とともに、新たな労働組合活動の実践例と検証を通じて、労働組合活動の可能性をビビッドに描き出している。時代に先行した独創かつ示唆に富む貴重な著作として、推奨する。
 「元気の思想」は、研修・講演・コンサルティング・執筆活動等を通して、労使関係・人事・労働問題に積極的な提言をしてきた著者・奥井禮喜が、NTT労組群馬県支部100人の方々から100時間に及ぶ詳細なインタビューを実施し、「個人と組織の元気」について分析・考察した意欲的な著作です。働く人の職業生涯のあり方を考え、労使関係、人事管理、組合活動などに有益な示唆を与えることを確信いたします。
 今、わが国では、時代の変化と構造改革が叫ばれています。すべては「人」の考え方と行動に関わってきます。「人事」こそが経営・組織、そして社会の基盤です。企業の人事管理をつかさどる人にぜひ、お読みいただきたい一冊です。



「元気の思想」読者による感想交換メールリストは
http://isize.egroups.co.jp/group/readersgenki/