月刊ライフビジョン | 地域を生きる

図書館は知的な余暇装置

薗田碩哉

街のイベント帖27
鯉のぼりパーティ

個人宅の鯉のぼりはあまり見かけなくなったが、その代り、鯉のぼりをたくさん集めて川面を賑やかすのが流行っている。
写真は5月の連休に町田市の鶴見川で。手前の人物はうちのカミさん。


 住まいから歩いて5分ほどのところに市の中央図書館があるので重宝している。中央図書館とは言ってもそれらしい立派な建物ではない。元の中学校の校舎をそのまま利用して図書館に仕立て上げたので、大きなグラウンドも付いている。たくさんあった教室をぶち抜いて図書室や閲覧室にしている。1階は開架スペース、2階は閲覧室と学習室、3・4階は閉架書庫で所蔵の本が詰まっている。とは言え、閲覧席は40席、社会人席は9席しかなく、別にある学習室席数も38席(パソコン持込可)だから満席のこともある。元学校だから空き部屋はまだまだたくさんあるので、勉強ルームにして受験生や社会人に使わせたらいいのではないかと思う。

 図書館に行って目立つのは高齢者である。特に平日の昼間はお年寄りのサロンという感じで、その他は絵本ルームに小さな子どもを連れた母親がいる程度だ。高齢者の皆さんはしゃかりきに本を読んでいる人はあまり見かけない。悠然と新聞や雑誌を眺めていたり、ぼんやり虚空を見つめていたり、しっかりお昼寝の方もいる。それを見ていて、ここは一種の公園なんだな、という気がして来た。憩いとくつろぎの場所である公園、芝生や木々や花の代わりに、ここには辞典や全集や単行本が並び、大判のグラフ誌なども揃っている。言わば知的な装いをこらした公園である。戸外の公園と違って雨の日でも支障なく、寒風吹きすさぶ真冬でも酷暑の夏の日でも、冷暖房完備だから快適なことこの上ない。人類が残してきた知的遺産に取り巻かれながら静かなひと時を過ごす、こんな充実した時空間は図書館以外にはなかなか見当たらない。

 しかし、地域の図書館はどこでもかなりの逆風にさらされている。図書館の採算性? がやり玉に上げられ、税金を使って無料で支える意義が問われている。利用者人数がチェックされ、本の貸し出し冊数が伸びていない、などといちゃもんを付けられて、挙句の果ては当今流行の指定管理者に委託という話になる。実際、公立図書館の外部委託は日本図書館協会の調査(2015年)によれば、全国3200余館のうち、430 館、導入率 13.2%に達している。その中には書籍販売のTSUTAYAが受託した佐賀県武雄市の市立図書館で、まるで見当違いの蔵書購入が問題になった事例があるように、採算性重視の図書館経営が市民のためになるとは思えない。そもそも図書館はタダが大前提なので、収入増と言っても喫茶店を併設したりする程度、結局は人件費の切り下げ―→サービスの低下という筋道しかない。

 図書館は市民のための情報提供施設だという点が強調され、その実効性が問題にされているが、情報以前の図書館の存在価値――知的な余暇装置として図書館を見るべきだという点を強調したい。建物も美しく、中の雰囲気も抜群で、そこにいるだけで幸福な気持ちになれるような知的公園としての図書館は市民生活に必須のアイテムである。たかだか市の全予算の1%程度にしかならない図書館維持費をケチるような町に、だれが住みたいと思うだろうか。人口減少が必至のこれからの社会で自治体の税収を増やしたければ、文化への投資を忘れることはできないはずである。


薗田碩哉(そのだ せきや)
1943年、みなと横浜生まれ。日本レクリエーション協会で30年活動した後、女子短大で16年、余暇と遊びを教えていた。東京都町田市の里山で自然型幼児園を30年経営、現在は地域のNPOで遊びのまちづくりを推進中。NPOさんさんくらぶ理事長。