月刊ライフビジョン | コミュニケーション研究室

総合紙の一線を越えた読売の「出会い系バー」報道

高井潔司

 1980年代半ば、読売新聞特派員として中国に駐在していた。中国の書店で見つけた「新聞事典」の「読売新聞」の項に、「政府機関紙」と書いてあって、がっかりした。そんな風に見られているのか、道理で朝日新聞とは随分、待遇が違うと感じたものだ。2000年代、日中関係がぎくしゃくしたころ、日中のメディア対話を目的に開かれたシンポジウムで、人民日報の若い女性記者が「読売新聞は独裁社長に牛耳られ、社内の言論の自由は人民日報以下だ」と発言した。内部のことも知らないのに、よくもまあと驚き、もう読売新聞を辞めていたにもかかわらず、「社長がいつも編集現場にいるわけでなく、われわれはしっかり議論して新聞を作っていますよ」と反論したものだ。
 しかし、5月22日付け朝刊の「前川前次官出会い系バー通い」の報道には度肝を抜かれた。三流週刊誌でもあるまいに、よくまあこんな個人的なスキャンダルを、世界最大の発行部数を誇りとする新聞が報道するものだ、とあきれてしまった。
 総合紙と呼ばれる日本の新聞は、人権侵害を含む報道被害を防止するために、各社、内部的に取材や報道のガイドラインを設けている。それによって「報道の自律」を確保しないと、報道被害を口実に権力がメディア規制を仕掛けて来るからだ。さらに、多くの報道は、プライバシー権と表現の自由の衝突というぎりぎりの状況の中で進められており、一線を越えるとプライバシー権の侵害として法的に訴えられる可能性もある。
 私の大学でも、わざわざ「メディアと人権」という授業で、総合紙が報道被害の防止に努めているかを、各社のガイドラインを詳しく紹介している。例えば読売の報道ガイドラインには、「名誉毀損は、基本的に犯罪であり、不法行為だが、その行為が、①公共の利害に関する事実に係り、②その目的が公益を図ることにあり、③その内容が真実である――その3要件を満たせば免責される」と紹介し、取材の重要性を指摘している。この3要件にしたがって考えてみよう。前川前次官の出会い系バー通いの報道が、「公共の利害に関する事実」かどうか、「その目的が公益を図る」という要件にかなっているのか、どうか。大きな疑問であろう。
 朝日のガイドラインはプライバシーの問題に関してより突っ込んで取り上げている。「プライバシーの領域にある事実などをどこまで書くか、どういう表現を使うか」などを判断する基準は、①事件の重大性、②書かれる対象の人の立場・地位によるとしている。その上で、「個人の人権に配慮しつつ、なお知る権利を優先する場面もある」として、②に関して政治家や公務員など「公人・公的な存在」か私人か、刑事責任能力があるのか、少年か成人かによって判断が変わってくると解説している。前次官が公人か私人か見方は分かれるだろうが、すでに天下り問題の責任を取って辞職しており、天下り問題に関わるスキャンダルならプライバシーの領域にある事実も報道することになるのだろうが、もはや天下り問題は当面の報道のマターではなくなっている。
 私が三流週刊誌でもあるまいにというのは、このようなガイドラインはなく、むしろ著名人のプライバシーやスキャンダルを暴いて、それを売り物にしている週刊誌なら仕方がないとして、ジャーナリズム組織としてしっかりとした報道のガイドラインを持ち、権力監視機能も持つ総合紙が一体なぜこんな報道をするのか、あまりにも唐突で疑問に思ったのだ。
 しかし、そんな疑問は、周知のようにすぐ氷解した。安倍首相の友人が理事長を務める加計学園の獣医学部新設をめぐって、内閣府から文科省に「(新設は)総理のご意向」と伝えられたとする疑惑文書を漏らしたのは前川前次官であり、読売のスキャンダル報道の後、前川氏が問題の疑惑文書の存在を記者会見などで証言したからだ。前川氏のスキャンダルを事前に報じた読売は、前川証言の重みとその衝撃を打ち消したい政府の意を呈したものであることは明々白々になった。内閣府からリークされた情報を基に取材を行い、前川証言の前にぶつけたことが、週刊誌報道などから推測される。ジャーナリズムの権力監視機能を果たすどころか、政府のお先棒を担いでいるのだ。
 問題は報道のガイドラインを越えてまでして、総合紙としては異例のスキャンダル報道をしたことだ。報道の自律ということから言えば“自殺点(オウンゴール)”ものだろう。きっと社内にも一連の動きに歯噛みしている記者がいるはずだ。どこかでその声を挙げてもらいたい。「おかしいことはおかしい」というのが記者の仕事であり、例え“ドン”でもそれを押さえつけることはできないのだから、熟慮と奮闘を促したい。

 読売といえば、5月初めにも、憲法改正問題をめぐって、安倍首相が国会で「読売新聞を読んでほしい」と答弁し、「読売は人民日報か」などと物議をかもした。憲法改正は、読売も長年、自社の方針として、試案まで作り、報道してきたのだから、首相に追随しているわけでない。安倍答弁は失言としても、読売自体は「人民日報」などと言われる由縁はないだろう。
 だが、今回のスキャンダル報道はどうだろう。先に紹介した人民日報の女性記者に、どう思うか、聞いてみたい。恐らく「読売が日本の人民日報って、冗談ではない。人民日報は党機関紙としてそんな下品なスキャンダル記事なんか掲載しません。うちには環球時報というそれ専門の新聞があります」という答えが返ってきそうだ。そういえば、読売には『週刊読売』も無くなってしまったからねェ…。あの絶妙なタイミングでスキャンダルを暴くのは週刊誌でも無理だったのかもしれません。ますます自殺点です。


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高井潔司
桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授
1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て現職。