週刊RO通信

先生からいただいた最後のお手紙

NO.1256

 今回は多分に感傷的な話を書きますが、どうぞご寛恕ください。

 畏友Tさんが席を設けてくださって、内藤辰美先生(山形大学名誉教授)のお話を初めてうかがったのは昨12月14日の夜だ。小柄で、慈愛に満ちたまなざしが第一印象である。柔和な先生に好き放題しゃべった。肝胆相照らすというのはこういうことかと嬉しく、のぼせあがってしまった。

 当夜いただいたご著書は『中心と周縁』(春風社)で、佐久間美穂氏(日本福祉大学助教)との共著であった。

 ――大国主義、共存の条件を欠いた世界システムは未来の展望を欠く。それは「貧困の文化」を生み、中心に対する周縁に人々を排出する。われわれの福祉国家(というならば)「人間平等の原理とヒューマニスティックな価値の普及に献身する社会の建設」に意欲的でなければならない――

 直後にいただいたお手紙には、国難を口にするが日本のリーダーはその本質を理解していない。それは何よりも「責任回避」の姿勢として現れている。

 とくに「小中学校の教育を国家再建の根底に据えなければなりません」と強調されている。大学院重点化で、高学歴化が一層進むが、基礎をおろそかにした高層建築の危うさに、多くの国民が気づいていないのではないか。

 「小中学校の勉強をきちんとやれば、十分に社会人としてやっていける」と、歓談の最後に先生が言われた。まったく疑いない。小中学校教育をわざわざ受験競争の谷間に貶めている。

 わたしの母は、小学校しか出なかった。「女が学問するとろくなものにらない」と陰口叩かれつつ、隠れて本を読んだ。30歳を超えて地元の大きな建築会社で経理を仕切ったが、税理士が要らないと税務職員が舌を巻いた。

 続いていただいた『北の商都「小樽」の近代』(春風社)は、近代都市・小樽がいかにして形成されたか。精緻にして丁寧な調査活動による大作品だ。

 先生の認識は「都市は縦の座標軸である国家と横の座標軸であるコミュニティが交差」する。明治国家が採った方針は姿を消したが、大資本・官僚による国家支配・管理がますます強化されて、コミュニティが育たない。

 都市の過密・過疎問題は、大都市という中心に対してその他が周縁化したところの都市間格差問題である。明治路線の失敗から学んで「尊厳ある国家」を本気でめざす主張が育っていないのである。

 小樽調査での先生の心残りは、人々の生活実態・様式など「生活」文化を描くための作業が後日の課題となった。都市もまた人である。人の意識や活動が都市の生態学的現象(発展あるいは衰退)を作るのであるから、そこで現実に暮らしている人々こそが本来の主人公だといえよう。

 先生からいただいたお手紙は、この4月12日付が最後になった。「週刊RO通信 2017年の記録」の感想であった。

 ――日本には「人」がいないのではありません。「人」を見ない人間が増えてしまったのです。「人」の主張に耳を傾けなくなってしまいました。どうしてそうなってしまったのか。

 1つ言えることは、歴史に学ぶ姿勢が欠落していることです。目先の小利、幸を求めて、多くの日本人が歴史における自分の位置を見失っています。いったい、この世に生まれた自分とは何者なのか、その意味と意義について考えることをしなくなりました。

 多くの日本人が勉強から遠ざかっています。漢語で勉強とは「少し努力する」ことだそうですが、少しの努力を惜しむ日本人が増えてしまいました。小泉改革以降、「堅実」という言葉が消えました。一攫千金の気風を蔓延させ——これから真面目に働く若者はいなくなるでしょう。少しの努力などバカバカしいという風潮が日本を滅ぼします――

 この22日、先生の新著が届いた。『社会学批判と現代 早瀬利雄の人と学問』(春風社)である。初版発行は2018年6月26日。著者謹呈の付箋の横にもう1つ付箋があった。「内藤辰美先生は2018年5月14日に亡くなられました。ご葬儀は近親者の方々にて5月16日に済まされました」

 最後のお手紙の末尾に「今後もしっかりやれ」とあった。内藤辰美先生のわたしにくださった遺言を何度も読み返している。