月刊ライフビジョン | コミュニケーション研究室

上海の発展を見て考えたこと

高井潔司

大義なき解散の国と、劉暁波の国と…

 9月中旬、中国の上海・杭州に調査旅行に行ってきた。

 上海は読売新聞の記者だった1980年代半ば、支局の開設を自ら行い、約1年駐在した懐かしい町である。以来、この街には5年と空けず足を踏み入れて来た。その30年余の中で、今回ほど人々の暮らしぶりの変化を感じたことはなかった。とくに社会資本の充実が目立った。

 上海の目抜き通りにそびえたつ超高層ビル群の数は、すでに10年前にニューヨークを上回り、世界最大の摩天楼都市になっているが、近年は高層マンションがどんどん郊外にも広がり、30階建て以上のビルは恐らく数千棟いや1万棟を越えているのかもしれない。私が支局を開設した80年代半ば、上海最高ののっぽビルは1934年竣工した24階建て87メートルの国際飯店だった。いまでは市街地がどんどん広がり、どこもそこも高層ビルがにょきにょき立っている。

 郊外と都心を結ぶ地下鉄網の整備も凄まじい。すでに14本の路線が開通し、まだ数本建設中という。今回の旅行では、一度もタクシーを使う必要がなかった。地下鉄の乗り換えも非常に便利で、しかも安い。初乗りが3元(約45円)、大体5元で行きたいところへ行ける。下車して表に出れば、シェアリングサイクルも利用できる。30分1元だから、通勤にさえシェアリングサイクルを利用する人が多いという。通勤時の、錆び付いた自転車のモノクロの大群を見ることがなくなった。カラフルでこぎれいなミニサイクルがすいすいと走り抜けていく。

 5年近く前は、地下鉄の工事だらけで、しかも、エスカレーターもバリアフリーのエレベーターもなかったから、スーツケースなど大きな荷物があると、地下鉄を利用する気にもならなかったが、今回はすっかり整備され、随分ヒトにやさしい街になったものだ。

 何より驚いたのは、偶然入った街中の公衆トイレがきれいだったことだ。30年前、上海の友人が彼の自宅に食事に招いてくれた時のことを思い起こす。「自宅にトイレはなく、公衆便所も汚い。夜は馬桶(おまる)を使っているが、それでもよければ遊びにきて」と済まなさそうに、誘ってくれたものだ。きれいな公衆トイレがどの程度普及しているか、わからないが、私がたまたま入ったトイレは、日本の公衆トイレより清潔だった。無料だが、管理人がいて常時清掃しているようだ。公衆トイレは、上海だけでなく、杭州でも利用したが、同様にきれいだった。中国のトイレと言えば、恐ろしいほどの汚さだったが、見違えてしまう。

 ある日の昼時、かつての支局の中国人の助手がお昼ご飯をご馳走してくれた。東京なら一流の店構えの中華レストランだが、彼は「これは特別じゃないですよ。周りを見て下さい。普通のおばさんたちが、女子会をやっているでしょう」と周りをみやる。確かにその通り。それほど人々の暮らしは豊かになっている。ゆったりした生活のリズムは、東京以上の心地良さかもしれない。長い間の、貧しく、厳しい生活から抜けだした人々の生活への満足感がうかがえる。

 もちろん、格差もある。公衆トイレの美観はきっと周辺の農村から出てきた出稼ぎ労働者によって維持されているに違いない。だが、着実に全体的な底上げがある。「わが国の新聞は、人々が一番知りたいことを伝えてくれない」と、友人はこぼすが、不満はその程度。贅沢な不満である。知る方法はいくらでもあるし、知ったとて何かできるわけでもあるまい。それは日本も同様だ。

「わが国は、民主主義国で、法と正義の国だ。中国のような独裁国家とは違う」と言ったとて、森友学園、加計学園問題であれだけ疑惑に包まれながら、自称「仕事師」内閣が仕事もせぬうちに、大義なき冒頭解散で逃げ延びようとしている。その政治のどこに、法と正義があるのだろうか。北朝鮮のミサイル発射でいつJアラートが鳴り響くかわからぬこの時期である。野党の分裂と再編が進まない中、今なら多数を維持できるという党利党略丸出しの政治ではないか。こんな政治が民主主義の旗を振り回すと、こちらはストレスがたまるばかりだ。民意を軽視する姿勢は一党独裁の国と、少しも変わるところがない。

 中国の大衆が豊かになり、一党独裁に嫌気が差し、中国の現体制は崩壊寸前などと、ゆめゆめ考えてなるまい。6月にノーベル平和賞受賞者、劉暁波が病死した時、海外のマスコミは、彼を反体制のリーダーとして、改めてクローズアップした。しかし、これは大きな誤解だ。彼は現体制を顛覆させようなどと主張したことはない。彼は天安門事件後、現体制が改革・開放路線を加速し、市場経済を導入して、高度成長路線に転換した時から、政権打倒ではなく、憲法を基に、権利の回復、拡大を主張する署名運動を展開した。誤解を恐れずに言えば、現体制を認めた上での改革運動である。もちろん現体制は非民主であり、人権軽視の政権である。だが、一方で経済発展を実現し、大衆もその豊かさを享受している。そこから出発して、いかに憲法が保障する権利を拡大し、憲法をより民主に近づけていくかが大事だと劉暁波は訴える。天安門事件のような反対体制運動や奪権闘争など否定している。天安門事件の後、海外に出て外から再び反体制運動を盛り返そうという反体制派の人びとと違って、彼は一貫して国内に留まり、国内の情勢の変化の上、民主化の実現を求めてきた。

 ただ現体制は彼の行動をも、国家転覆の罪で問うた。それは現体制の焦りであり、大きな誤りでもある。当局に理はなかったから、彼が健康で出獄する折には、再び彼の言動が中国を揺るがす可能性もあった。残念ながら病魔に襲われ、惜しまれる死を迎えることになった。

 海外のマスコミは、彼のそうした姿勢、立場にもっと理解を寄せ、当局の焦りと誤りに注目し、批判するべきだったが、現体制の悪政と反体制の威勢の良さに目を奪われ、彼を天安門事件時の反体制の旗手としてしか見なかった。彼は事件の時、確かに広場で学生たちと一緒にハンストを実行し戦っていたが、学生たちの絶望的な「広場で死を」という姿勢を批判し、広場からの撤収を指導した。

 海外のマスコミは現体制を憎むあまり、現政権の経済発展への貢献を認めない。劉暁波を「反体制」と祭り上げ、彼を国内の大衆と線引きする立場に置くことにおいては、実は現体制と海外のマスコミは同じ立場である。それは中国の現状を見誤っていることから生じる。もちろん、経済発展の一方で、人々の人権はないがしろにされている。民主や人権問題はもちろん指摘すべきだが、それだけでは、経済発展の成果を享受している国内の大衆は立ち上がらないだろう。劉暁波は中国の現行憲法が認める権利の回復とその拡大を求める「零八憲章」運動を起こしたのだった。理想だけでなく、現実を踏まえた中国では稀有な民主活動家を失ったことで、中国の民主化は数十年さらに遅れることになるのではないだろうか。

 劉暁波の具体的な発言は本文が長くなるので、以下に紹介する。劉暁波の姿勢が、単純な反体制派と如何に異なっているか、以下の肉声から理解されるだろう。それは彼の死を詳細に伝えたはずの日本のマスコミ報道から読み取ることができない。

「(天安門広場で)死者を見なかったのは事実であり、事実を語ることは歴史への責任である」「私が最も嫌うのは、中国人が道徳という美名のもとに事実を歪曲する道徳至上主義を望むということだ。(学生リーダーで広場虐殺を証言した)ウアルカイシはまさに道徳の美名を選択し、事実の尊重を放棄した」 (『末日倖存者的獨白』(時報文化出版・台湾)

「中国共産党のやり方と若い学生の生き方とは似ている。表面的には、彼らの生き方は、中共のイデオロギーとは全く別物である。しかし中共の変遷に詳しい人からすると、すぐに分かるのは、中共のやり方――権力の奪取、掌握、維持――とそれらの若い学生の生き方は実質として内在的に一致するところがあり、それはつまり機械主義的な「利益第一主義」と「目的のために手段を選ばない」やり方である」(2004年「ポスト全体主義時代の精神風景」『最後の審判を生き延びて』所収(岩波書店))

「今回の学生運動は、空前の規模で社会の各階層からの同情、理解、支持を獲得した」「しかし否定できないのは、多くの人たちの学生に対する支持は、人道主義的な同情と政府に対する不満から発したもので、政治的責任感をもった公民意識に欠けていたことである」「数千年来、中国社会は古い皇帝を打倒して新しい皇帝を擁立するという悪循環の中にあった」「我々に必要なのは、完ぺきな救世主ではなく、完ぺきな民主制度なのである」「学生側の過ちは、主に組織内部の混乱や効率性 と民主的手続きの欠如に現れている。例えば、目標は民主的だが、その手段や過程は非民主的で、理論は民主的だが、具体的な問題の処理は非民主的だ」。その上で、宣言は「我々は死を求めているのではない!我々は真の生命を求めているのだ」(「6.2ハンスト宣言」『最後の審判を生き延びて』所収(岩波書店)) 

「社会の三大構成要素――経済、政治、文化は二〇年余りの改革によってもはやすでに一枚岩ではなく、ますます明らかな分裂が現れている。経済の面では、市場経済を志向する改革はすでに利益の主体を日増しに多様化させており、文化の面では、正当なイデオロギーの零落が人々の価値や興味を日増しに多様化させている。ただ政治の面においてのみ、政府は依然として権力の一元性という硬直した大勢を堅く守っているのだが、しかし、経済と文化の多様化という蚕食により、体制内はもはや一枚岩ではなく、その利益の主体と価値観念は一貫して急速な分化の過程にある。特に、主要な民意の積極的な圧力と消極的な抵抗という二重作用のもとで、民間の資源は迅速に拡張して政府の資源は迅速に委縮し、政府が古い制度を固守するコストは次第に高くなり、統制能力も次第に弱くなって、意欲はあっても実力が伴わないという常態が、すでに中国共産党政権による統治の常となっているのだ」、「民間の圧力によって現行の制度を自由民主の漸進的な革新へと推し進めることは、すでに現在の改革における効果的な道筋にもなっている」、「自由民主を求める民間の力は、ラディカルな政権転換から社会総体を立て直すものではなく、漸進的な社会転換から政権の変化を、つまり不断に成長する公民社会から不合理な政権を改造することである」(「未来の自由な中国は民間にあり」『「私には敵はいない」の思想』(藤原書店)所収)

高井潔司   桜美林大学リベラルアーツ学群メディア専攻教授 1948年生まれ。東京外国語大学卒業。読売新聞社外報部次長、北京支局長、論説委員、北海道大学教授を経て現職。