論 考

ハラスメント概念の暴走が社会を阻む

筆者 小川秀人(おがわ・ひでと)

 昨年、某産業別労組の長年の取り組みが結実した。カスタマーハラスメント対策を企業に義務付ける改正労働施策総合推進法が2025年6月に成立し、2026年10月からすべての企業に雇用管理上の措置が義務化される。厚生労働省の調査では、企業の約60%が「顧客等からの迷惑行為が従業員の心理的負荷になっている」と回答しており、同産別の機関会議における一委員の発言を端緒とした取り組みが、社会課題の解決に向けて大きく国政を動かしたのである。

 一方で、日本社会ではハラスメント概念がボーダーラインを超えて拡張し、社会的コミュニケーションや組織運営に影響を及ぼしつつある。問題は、「不快感の主観*1」が「加害性の客観*2」を凌駕する構造が生まれている点である。SNS分析では、2020〜2024年の主要プラットフォーム上で「〇〇ハラスメント」という造語の投稿件数が年20〜30%で増加。既存のモラハラ・アルハラ・アカハラなどに加え、数十種類の新語が継続的に生成されている。また投稿内容の分析では、法的要件を満たさない「単なる不快感の表明」が全体の約70%を占めるとの報告もある。人間社会から加害性を完全に取り除くことは果たして可能だろうか。

 法律によって事業主に防止措置が義務付けられているのは、カスタマーハラスメント、パワーハラスメント(労働施策総合推進法)、セクシュアルハラスメント(男女雇用機会均等法)、妊娠・出産・育児休業等ハラスメント(男女雇用機会均等法)などである。これらは、一連の行為が明確に定義された「法的ハラスメント」である。

 筆者が「ハラスメント概念の暴走」と称するのは、SNSやメディアで拡散する〇〇ハラスメントのことであり、もはや言った者勝ちの様相を呈している。造語の数は100〜200種類とされるが、そのほとんどは「感情の対立」の延長線上にあるとも見て取れる。新種のハラスメントが日々発明され、その拡散が「空気に弱い日本人の心」へ静かに入り込み、誰かが新たなハラスメントを定義しようものなら瞬く間に同調圧力化する。つまり、不快感の種類が増えるほど社会が安全になるわけではなく、不快感のレベルがエスカレートすることによって誰もが加害者になり得る世界が形成される。こうした状況を容認する風潮は、保護の名を借りた「感情の過保護」ではないだろうか。

 感情の過保護が人間関係の希薄化を招いてはいないか。何気ない会話でさえ「不快」と感じられればハラスメントとみなされる可能性があり、他者との距離を過度に取る傾向が強まる。不快感を覚えるたびに「ハラスメント」という便利なラベルを貼れば、面倒な対話や調整を回避できてしまうのである。結果として、平場での自然なコミュニケーションが減少し、信頼関係の醸成が困難になる。摩擦ゼロの漂白社会を夢見るのは自由だが、非現実的且つ空想的でしかない。人間社会とは摩擦やエラーを含むものだ。

 ハラスメント研修や教育を通じて、「適切な指導」と「不適切な言動」の境界を共有することは、それが先鋭的な「言葉狩り」を誘発しない程度に重要ではあるが、それと同時に「不快感=他者のせい」という短絡的な構造を社会全体で見直すことも必要であろう。そうでなければ人間の感情はどこまでも際限なく劣化してしまう。

*1不快感の主観

 刺激を受けたときに、脳がその状況を「悪い」「危険」「望ましくない」と意味づけ(評価)した結果として生じる不快な体験。

*2加害性の客観

 行為者の主観的な意図ではなく、その行為が客観的事実として他者に危害・損害を与えたかどうかによって加害性を判断する立場。