論 考

私は人をだましたい 魯迅(改造社1936年)

筆者 小川秀人(おがわ・ひでと)

※断り書きとして、文中に「支那」という語が登場する。当時は中華人民共和国(中国)が成立しておらず、孫文や魯迅自身もこの語を用いていたため、歴史的文脈を踏まえそのまま記す。

 魯迅(1881–1936)が遺した散文のひとつである。屈折した題名だが、文章は日本語で直接書かれている。魯迅は1902–1909年に国費で日本へ留学したが、その間、日本人の親友は一人もできなかったという。ただし「藤野先生」だけは権威主義を嫌い、国籍を問わず誠実に指導してくれた人物として深い敬意を寄せている。当時の日支間の政治的緊張、日本人学生からの偏見、そして魯迅自身の性格と「祖国救済」への強い使命感が、この挑発的なタイトルに影響したのだろう。

 この頃は、1931年の満州事変を経て政治・軍事的緊張が極限に達していた時期である。その状況下でも改造社は中国の近代文学や社会情勢を積極的に紹介し、魯迅に執筆を依頼した。支那国内では激しい抗日運動が続いていたが、魯迅は日本政府の侵略行為を厳しく批判しつつも、かつて留学した日本とその民衆に対しては、どこか愛着を捨てきれなかったのだろう。魯迅の数多の文章からは、その複雑な心境がにじむ。文学が当時、一定の社会的影響力を持っていたことの証左でもある。この時代は本当のことを言うと弾圧されるため、「いっそ自分も世間と同じように嘘をついて人を騙したい」と逆説的に嘆くことで、真実を押し隠す世の中の不条理を告発している。

 冒頭で魯迅はこう書く。「浅間山のそばには宿屋ならあるに違いないが、象牙の塔を建てる人はないだろうと思う。」 この比喩は極めて鋭い。厳しい現実のただ中では、綺麗ごとだけを語る“象牙の塔の人間”は生きられない。まず生活のための宿屋を建てるしかない――理想主義への冷笑と、現実生活への強い自覚が込められている。「浅間山=いつ噴火してもおかしくない現実の厳しさ」、「宿屋=現実に根ざした営み」、「象牙の塔=現実から逃避したエリート主義(独りよがりで社会の役に立たない人や組織)」という構図である。

 魯迅が批判するのは、立派な道徳を語りながら弱者を助けない人、真面目な言葉を並べるが行動が伴わない人、誠実を装いながら責任を回避する人、社会の残酷さを見て見ぬふりをし、綺麗な言葉で覆い隠す人々である。彼はこれを偽の道徳、空虚な仁義道徳と呼び、支那社会を腐らせる“精神の欺瞞”として断罪した。

 その批判は、まるで現代日本を予言していたかのようだ。「働き方改革」の美しいキャッチフレーズだけを語る政治家。現場を知らずに制度を設計する官僚と、それに寄生する御用学者。ハラスメント概念を無限に拡張する専門家(筆者はこれを“ハラスメント概念の暴走”と呼びたい)。「多様性」や「多文化共生」を唱えながら、第一線の負担を顧みず現場に丸投げする企業組織。「自己責任論」で生活困難者を切り捨てる評論家風情。

 労働組合だけは違うと言いたいところだが、残念ながらそうもいかない。「ダイバーシティ」や「ジェンダー平等」といった美しく漂白されたスローガンを掲げながら、政治的アピールばかりで現場の問題に踏み込まない。官庁との距離が近く、制度設計側の論理に寄りすぎる。組合員の声より“組織の都合”を優先する。

 労働の現場が求めているのは宿屋であるにもかかわらず、労働組合は象牙の塔を高くすることに熱心になってしまった。と自戒と覚悟を込めて天に唾を吐いてみるのと同時に、切に願う。「筆者も人をだましたい」。