NO.1677
高市氏は毎日2~3時間しか眠らないそうだ。すでに還暦も超えており、本人が若いつもりでも「からだ」は綻びがくる。そもそも他者の発言に耳を傾けないのは、余裕がないからだ。孤独だ、仕事一直線だというのは、実は余裕がない証明である。必要な睡眠を切り詰めて働くことが仕事一途の美徳ではない。心得違いである。
高市氏が健康を破壊するのは勝手である。しかし、眠る時間を極端に縮めて働いて、国会軽視、国民が求めない政治をするのだから、せせら笑ってはいられない。半年前の本通信1650号で、「高市自民党が社会混乱を拡大する」と書いたが、この認識は甘かった。このまま暴走し続けると混乱どころか、破壊することになりかねない。すでに、あの選挙における「公約」は反古にされ、高い人気を悪用して、「国民のための政治」などどこ吹く風である。
高市氏は何のために政治家をしているのか? 高市の・高市による・高市のための政治というしかない。そこに他者が介在する余地はない。他者と共同するのはたまたま自分の考えに好都合だからである。選挙で勝つ、これが最大の目的である。
オルテガ(1883~1955)は名著『大衆の反逆』で、大衆が政治の主人公になって、政治が迷走することを予見した。ここでいう大衆は自分のことしか念頭にない人である。そして、「エリート(優れた人間)は自分を超え、優った規範に注目し、進んでこれに奉仕する人である」と表現した。ポピュリズムの危惧を主張し、それを克服するために、エリートの必要性を主張した。
寝る暇もなく一心不乱に働いても、所詮自分のために采配を揮うのだから政治が乱れるのは必然である。傍(はた)をラクにするからはたらくというが、高市流ははた迷惑だ。はた迷惑の功績(?)が国会を蔑ろにする。人々の暮らしからかけ離れた法律に血道を上げる。国旗損壊罪、副首都法案、皇室典範などいずれも選挙公約にはない。期待して自民党に投じた多数の清き一票が仇になった。
高市氏は右翼だというが、まともな右翼は他者とのコミュニケーションを拒否しない。コミュニケーションが成立するから社会が成立する。当然ながら政治の世界はより深いコミュニケーションが支えになっている。コミュニケーション不全の政治が目指すものは衆愚政治であり、独裁政治でしかない。
高市氏は党内基盤が強固ではない。優秀な理論家も少なくない。にもかかわらず諫言する人がいない。高市流の政策に反対の人は少なくないはずだ。要するに、選挙に強い高市氏という虚像が党内を支配している。さきの選挙の大勝利が頭から離れない。他の議員も筋を通すより、自分の選挙の呪縛にとらわれやすい。かつて自民党は党内多士済々が自慢であった。実際、党内討議が盛んであった。いまや、頭数ばかりで総身に知恵が回りかねるようだ。
野党は党の数は多いが、どんぐりの背比べで、いざという時、野党の柱たる党がない。与党と対峙する力が弱い。突っ込みどころ満載の高市政治であるが、まともな答弁が出てこないし、時間切れ、数の力で押し切られてうやむやになる。野党が高市暴走政治を掣肘できないのは深刻である。
高市氏は思い込みが極端に固い。これが高市人気を支える理由でもあり、ブレず、強いリーダーシップを発揮するとして支持者を拡大したのである。昔から日本人は英雄待望論が強い。高市氏もそれを十分認識しているから、なおさら思い込みを強調する。ところが、高市氏は懐疑心が極度に希薄である。強い思い込みは懐疑心が機敏に働いてこそ裏付けられるのだが、それがないから暴走してしまう。首相に懐疑心なく、乱暴粗雑なことを強いリーターシップと考え違いしている支持者が多いうちは、社会の破壊が止められない。日本人はパトス的だといわれてきたが、まさしく、まさしくの感だ。
