週刊RO通信

自民党的地下水脈の蠢動

NO.1674

政治家の常識と一般人の常識がずれているのは当たり前である。常識(common sense)とは、一般人が持ち、また持つべき知識である。理解力・判断力・思慮分別などを意味するので、職業政治家たる人々が識見不足では困る。当然ながら一般人が理解しがたく、違和感や不快感を招くと、政治に対する不信が高まる。

 皇室典範改正について普段世間の関心が格別高いとは思わないが、議会の審議が十分ではないうえ、立法府の合意を無視した、政府与党の突出した動きに違和感を覚える人は少なくない。

 読売新聞社説は、「象徴天皇制を変えかねない法的改正だというのに、今国会中に拙速に成立させようとする政府与党の見識を疑わざるを得ない」。毎日新聞社説は、「男系による皇位継承に固執するのは、合意プロセスの軽視で、立法府の総意にはない」。朝日新聞社説は、「皇室典範改正を強行すれば禍根を残す」、といずれも強く批判している。きわめて常識的反応である。

 敗戦までの大日本帝国憲法(1889.2.1公布)には、「第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」。「第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス」、と規定されていた。

 敗戦後の日本国憲法(1946.11.3公布)は、「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」。「第二条 皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」、と規定されている。

 日本国の象徴天皇とは、理屈上、日本国民の大多数が天皇を日本国の象徴と考える事実があるからで、その事実がなくなれば天皇は日本国の象徴ではなくなる。旧憲法下の皇室典範は、憲法と同格である。皇室が自律的に定める規範であって、帝国議会の議を経ることを要しない。皇位継承について、国民や議会の干渉を許さないとする趣旨であった。現憲法下の皇室典範は法律の一種で、国会の議決によって修正される。皇室内のことであるのは変わらない。

 日本国憲法制定時に、女性天皇、女系天皇を認めるべきとする、さらに天皇の在位中の退位条項について決めるべきとの要求があったが、十分な審議が尽くされず、皇位の世襲の伝統論で退けられた。ただし、伝統を絶対視する見解は学問的に証明されたものではない。いままた、政府与党が伝統論を押し出している。

 1955年、自由民主党は結党の綱領で、日本国憲法がGHQに押し付けられたとして、自主憲法制定を掲げた。以前は押し付け憲法論が前面に出ていたが、憲法制定から70年以上経て、法律面で憲法の規定を実質的に侵食してきた。憲法第九条改正が象徴的に論議の的だったが、そもそも民主主義の実質を成長させなければ、憲法は空疎なものになりかねない。その懸念は小さくない。

 日本国憲法の核心は、基本的人権と主権在民である。大日本帝国憲法では主権は天皇であり、その他の国民はすべて天皇の臣下であった。基本的人権がなく、臣民の命は鳥の羽並みに軽かった。自民党の保守思想の柱は国家主義である。国家を人間社会のなかで第一義とし、その権威と意思とに絶対の優位を認める立場である。

 自民党の保守本流は吉田茂に流れをくむとされてきたが、非吉田派の、国家主義に傾斜した面々こそが本来保守本流だという意識が強い。右傾化した高市政権下で、彼らが、大日本帝国憲法下の、皇室典範の伝統にこだわるわけである。

 野党だった谷垣禎一総裁時代が自民のリベラル時代のピークであったとすれば、いまはその大反動、戦前保守への本家帰りが起こっている。国民の総意にもとづく象徴天皇制が男女差別の伝統を残したのでは、きわめて「いびつ」である。

 主権在民の政治力が問われていると考えねばならない。