週刊RO通信

労働観をしっかり考える

NO.1673

 高畑敬一さん(1929~2020)は、松下電器産業労働組合で長く執行委員長であったが、単組の領域にとどまらず、労働組合運動に大きな活動の足跡を残した。労働戦線統一においては、民間労組を結集して戦線統一の推進に活躍した。わたしは20代から知遇を得て、薫陶をうけた。ぜひ労働運動の旗を振ってもらいたいと願ったが、直接的には単組段階の大リーダーであった。

 1つだけどうしても意見のかみ合わない問題があった。わたしは組合運動再生のためには、組合員一人ひとりの労働観に依拠するべきだと主張した。高畑さんは、挺身的リーダーがしっかりと采配を揮えばすみやかに実現する。戦線統一が実現し、政策制度要求を引っ提げて立てば、組合員は挙って立ち上がるという。その背景には、自労組の組織を緻密かつ強力に組織してきた絶大の自信があった。

 労働戦線統一は、明治時代から労働運動家の悲願であった。1960年代から本格的な統一気運が起こったが、遅々逡巡、先が見えたかと思えば頓挫する、統一作業を担った人々からすれば悪戦苦闘の連続であっただろう。わたしは1970年代から統一に関心をもっていたが、当時、単組役員のほとんどは関心が薄く、まして組合員ともなれば蚊帳の外、まったく別世界の出来事であった。

 改まって考えるほどのこともないが、組合運動の主人公である組合員が我関せずでは、いったい何のための戦線統一かわからない。正確にいえば、組合員が関心をもたないようでは、統一が成功しても多くは期待できない。のちに連合結成前の民間連合を率いた竪山利文さんがわが労組定期大会の挨拶に来られた時、組織合体を何のためにするのか、統一後の組織がめざす具体的運動の一端を話してもらうようお願いしたが、「難しいことをいうなよ」とかわされた。

 たしかに難しい。しかし、それこそが戦線統一の眼目だ。いかに大きな単一組合が組織されても、それは手段にすぎない。コンテンツが、かんかんがくがくの建設的議論を通して組み立てられなければ、形式あって中身がない。なにも組合運動の再生には貢献しない。統一体としての連合はできた。わたしは、戦線統一は結局失敗したというしかない。官公労と民間労組の統一が失敗だったという見解は正しくない。組織統一は成功した。失敗の本質は、ドンガラばかりで、コンテンツにみるべきものがなかったことに尽きる。

 いま、連合は政財界と対等のようにみえるが、それは組合員の力が作り出したのではない。政財界が組合を持ち上げるのは、はたらく人を政財界の網におさめ、管理の実を上げる狙いである。おおかたは、単組の労使関係においても同様だ。それでは皮肉にも、組合員は余裕のない収入からわざわざおカネ(組合費)を払って、管理していただくことになる。組合費不払いが起こるリスクはある。

 連合は隆々たる体裁を備えた組織である。中身が伴っているのか。それが問題だ。あたかも一将功成りて万骨枯るだ。連合創設37年だが、運動の精緻な自省がない。自省がないことは、状況に放り込まれて右往左往するだけで、ナショナルセンターらしい組合運動の采配が揮われない。組合員こそが主人公である。忘れては困る。

 人間は、状況に放り込まれている。(被投企)そのままでは活力が湧かない、流されるだけである。まず現状を内省、自省し、自己認知しなければならない。自らを知れば何が欠落しているか。改めねばならないのは何か、がわかる。(自己認知)いままでの至らぬ自分を否定する。(自己否定)そこから新しい自分への挑戦が始まる。(投企)これが、人が活力をもって、はたらく生涯を作り上げていく労働観である。労働観なくして組合機関の役員は務まらない。

 わが機械設計の尊敬するリーダーの言葉だ。「優れた設計の構造物は、その概観も美しい」。ものごとは外面ではない。中身がしっかりしていれば困難は克服できる。リーダーの一念発起を願う。