論 考

落水狗の不寛容

筆者 小川秀人(おがわ・ひでと)

 「池に落ちた犬を叩く」。もともとはフェアプレイ精神を示す言葉であるが、魯迅が随筆「落水狗」で、「危険な性質を持つ犬は、水に落ちて溺れそうになっていても油断せず、岸に上がって被害を出さないように叩くべきだ」と反権力の主張を展開した。当時の国民党による支配、被支配者に対する抑圧、弾圧は過酷なものであった。

 某議員が国会で「自衛隊に行く子どもたちは、経済的に厳しい子どもたちで、豊かな子どもたちは自衛隊にはならない」と発言したが、これに対する炎上が止まらない。同議員はその場で謝罪し、同党の関係者も「不適切で極めて遺憾だ」だと一早く表明して厳重注意をしたものの、処分が甘いだの、謝罪して済む問題ではないだの、ここぞとばかりに俗世間の恰好の餌食になっている。マスコミを筆頭にコメンテーターも芸能人もしたり顔で。そして何故か、連合も本人に対して厳重注意したそうだ。

 確かに発言そのものは決して褒められたものではなく、擁護するつもりもないが、日本社会はとことん不寛容になってしまった感がある。と言うより、叩いているほうのお歴々は体制の側に立って安心しているだけではないのか。殊に昨今の国政を見ていると攻守の入れ替わりが激しい。揚げ足の取り合いではなく、もっと国民の生活に係る本質的な論戦をお願いしたいものだ。

 もっとも、そんなことで「自衛隊叩き=平和運動」の見当違いに気付くはずもなかろう。映像で見る限り相当に感情が高ぶっているようだが、職員室における日常会話の一部がついボロッと出たのか、あるいは極めて穿った見方をすれば、辺野古の女子高生死亡事故で劣勢に立たされている取り巻き連中が、意趣返しに件の議員をスピーカーとして利用している程度の話ではないのか。

 この議員は小中学校の元教師だそうで、面識はないが筆者とは同郷だ。訛りが近いと思ったら道理で(笑)。その故郷には自衛隊の施設が三つ所在している珍しい土地柄だ。小中学校時代、40人前後のクラスで自衛官の子供が10人強はいたと記憶しているが、この人に学んだ多くの教え子たちから自衛官になった子がいるであろうことは容易に想像できる。

 静かに控えめに、自衛隊を定年まで勤め上げた身内(父と弟)を持つ筆者から一言。われら兄弟は、自衛官の父と専業主婦の母の許でぬくぬくと何不自由なく育ちました。弟は両親に倣って温かい家庭を築き、筆者は大学まで行かせてもらい今では労働運動の末席を汚しています。誰が何と言おうとこの事実は変わらないし、家族は自分の誇りです。立場や政治思想は違いますが、私はこの議員を許してあげたいと思います。