週刊RO通信

企業にも国にも絶望しています

NO.1668

 朝日新聞5月22日オピニオン欄に高橋幸美さんのインタビューが掲載された。幸美さんの愛娘まつりさんは、2015年4月電通入社したが、その年の12月25日会社の女子寮4階から飛び降りて亡くなった。当時、月105時間の残業、寝る時間が2時間を切るような状態で、気丈なまつりさんだが、すでに正常な思考や判断が不可能に追い込まれていたと思われる。その後、幸美さんは講演などで長時間労働や過労死の撲滅のために語り続けてきた。

 インタビューの見出しは、「『まつりさんの母』を背負って」とある。幸美さんはまつりさんが、「辞めたい」「死にたい」「つらい」と言うから、何度も「辞めてもいいんだよ」と伝えていたが最悪の事態を防ぐことができなかったと悔やみ続けている。

 母子家庭で、子ども2人を育てた幸美さんの頑張る姿を見て、まつりさんの勉強ぶりは壮烈なものであった。1日12時間は勉強して東大に入学し、卒業後は給料が高いこともあって電通を選んだ。「私が働いて早くお母さんを仕事から解放してあげたい」のが、まつりさんのがんばりを押したのだろう。しかし、そのがんばりが撤退させなかったのだろうか。「幸せになるためにがんばっていたのに――。死ぬくらいならがんばらなくていいから、生きていて欲しかった」。幸美さんの慟哭の思いが痛い。

 幸美さんは嘆きが薄らぐどころか、ますます出口のない迷路へ追い込まれている。「なにも変わっていない。むしろ状況は悪くなっている」ので、幸美さんは、「まつりさんの母」を背負って、遺族の声を伝え続ける覚悟である。「理不尽なことに耐えて育ててきた子どもも会社につぶされてしまった。私はもう、企業にも国にも絶望しています。」「語り続ける覚悟はできています」

 労働時間はルールである。ルールは、いわば最低限の社会的規範である。それが遵守されないのでは問題解決の筋道が成り立たない。わたしは、長年労働問題を軸として、とくに会社社会を見詰めてきたが、いわば日本の会社は、「はたらく場」としての倫理観が欠落している。なぜなのか! じつに単純なまでに銭儲け至上主義だ。仕事こそが社会を支え発展させる基盤だという認識がない。

 あえて会社という表現をする。もちろん基本的責任は経営者にあるが、それだけではない。会社というシステムを銭儲け至上主義として割り切れば、そこで働く人々は、すべてその歯車であり、ネジであり、ピンである。そのようなシステムにおいては、まつりさんのような純粋無垢な人格ほど、とんでもない落とし穴に落とされる。

 1899年、日本初の労働組合期成会青年演説隊が掲げた主張を考えてみてほしい。先頭に、「労働の神聖を知らしむること」とある。労働の神聖とは、人間社会の価値のすべてが、労働から生まれる。はたらく人のからだから生まれるのだ。大統領になって金儲けに精出すトランプごとき下衆には、この意味は絶対にわかるまい。

 さらに、「労働者の権利を確実ならしむこと」、「労働者の品性を高潔に進むること」「労働者に学理上の知識を与えること」と続く。労働者の権利とは、「手取りを増やす」などという手合いではない。賃労働の価値を人間労働に押し上げようとする。そのためには、労働者の品性、学理上の知識が不可欠である。人間が育つからこそ、優れた労働の成果が得られるとする。つまり、銭儲け至上主義システムの一部には断じてならないという高邁な労働哲学である。

 この思想をたぐればアダム・スミス『諸国の富』に至る。――自分自身の生活をよくしようとする各人の自然的努力は、きわめて強力な原理なのであって、それさえあれば社会を富と繁栄に導くことができる。不肖わたしは、18歳で大会社に入って、「はたらく」価値と、それを生み出す人の尊厳をいつも考え続けてきた。まともな人間として人生を生き抜くためにこそ、労働が存在するのだ。