週刊RO通信

清き一票の意味は重い

NO.1667

 敗戦からちょうど1ヵ月の1945年9月15日、前首相鈴木貫太郎(1867~1948)がイギリスの新聞・放送記者ら3人の取材を受けた。これは同17日毎日新聞で報道された。そのなかに忘れがたい内容がある。

 鈴木「私は海軍軍人であるから、例を海軍にとるが、海軍についても米英合わせて10、日本は3で、これがいったん開戦となれば20になるか40になるかはわからない。軍略的に見て日米戦は不可能なのである。ところが戦争というものはおかしなもので誰も欲していなくても自然のなりゆきで起こることが多い。(中略)天皇陛下には日米戦は絶対に反対の御心をもたせられ、事態を平和のうちに解決するよう厳に政府にお命じになっていたのであるが、実際はあのような結果になった。

 (中略)私が組閣の大命を拝した(1945)4月7日には畏くも陛下にも日本の戦力を十分熟知あらせられ、事態の重大性を十分御認識遊ばされていた。私も戦争はこのままで継続されてはならぬと信じ、組閣当初から和平のため打つ手を考えていた。(以下省略)」

 鈴木は民主主義ではない身分社会の当時、もっとも徳望の高かった老政治家である。軍部の圧力の中で、ポツダム宣言を受諾し、日本が始めた戦争を終わらせた恩人として、後世の人々にも知られている。そうではあるが、この記事を読んだ人々の感懐はいかがだったのであろうか。「戦争というものは自然のなりゆきで起こる云々」は、鈴木が徳望高い政治家であったとしても、1944年生まれのわたしには、容易に了解できるものではない。戦争が天変地異と同じではないからだ。

 敗戦までの日本は、国家非常時が打ち出されるや、全国民が忠良なる臣民であって、あげて国家指導部を信頼し、まさに滅私奉公の大実践であった。日々の暮らしは各々千差万別であっても、「帰一」(きいつ)、分かれているものが一つになる。一致団結箱弁当がさらに高い次元へ昇華する。遠くは、聖徳太子の「和の精神」に至る。

 前後するが、鈴木のあと首相になった東久邇稔彦(1887~1990)は、8月28日記者会見で、敗戦の原因を急速な戦力崩壊、原子爆弾、ソ連参戦、戦時統制の厳しさ、国民道徳の低下などをあげ、再建の途として、軍・官・民の国民全体が徹底的に反省し、懺悔しなければならぬと思う。全国民総懺悔することが、わが国再建の第一歩であり、わが国内団結の第一歩であると信ずる」と語った。

 言葉尻を捉えるつもりはないが、戦争について、軍・官・民あげて総懺悔しようという。果たしてなりゆきで起こった戦争について、「民」が、何を反省すればよいのか。「民」と軍・官の反省は同じ程度のものなのか。現代的に考えれば、軍・官の罪は万死に値する。民は、羊飼いに対する羊の従順で国家指導部に仕えてきたが、民は羊ではないのだという痛切な反省をすべしというのか。

 しかし、残念ながらジャーナリズムをはじめ、総懺悔論に疑問の声を上げなかったし、国民もまた、戦争責任などおよそ思考の外で、まずは日々の食べることに取り組むしかなかった。

 敗戦で断崖絶壁転落を避けられたが、さて、このお人よしのお手軽国民性が改善されたのかどうか。いまは敗戦後民主主義80年である。いったい、民主主義の貴重な一票が政治に生かされているだろうか。おおかたの有権者の期待は物価対策はじめ生活安定への手配りにあった。しかし、巨大与党と化した自民党は、頼みもしない憲法論議や武器輸出に血眼だ。

 これが期待しない「なりゆき」なのであれば、それの原因は人々が投じた一票の思わぬ効果! である。敗戦までとは違って、民主主義、主権在民の世の中である。羊でさえ総懺悔せよといわれたことを考えると、誰もが政治的責任の重さを考えねばなるまい。