NO.1666
自民党もびっくりの総選挙大勝利だった。謙虚な戸惑いは長続きせず、勝てば官軍我が世の春を謳歌している。こうなったのは、有権者の選択の結果である。気のいい人々は調子のよい公約(もどき)をさらに自分流に咀嚼して一票を投じたのである。自民党が暴走することを期待して投票人は少なかろう。
しかし、自民党人士は昔から、選挙に勝てば全権委任されたのだから、やりたいようにやるという考え方がこびりついている。もちろん甚だしく心得違いである。エートスなく、パトスが特徴の日本的心情を代表するかのような自民党的伝統は、いつまでたっても変わらない。すでに、有権者が期待した政治は宙に浮いている。
最近、政治家の枕詞は、世界の安全保障環境が厳しくなったというものだが、次に出てくる言葉は軍事的防衛力強化論に止めを刺す。有権者は、自分の暮らし向きが最大の懸案だ。自分たちが政治を動かすのだとは考えない。政治家も、有権者も、「なぜ安全保障環境が厳しくなったのか?」という問いかけをしない。
世界の安全保障環境を破壊している第一人者はトランプである。高市は、「あなたこそが世界の平和を作る」と持ち上げた。トランプの暴挙を諫めるために痛烈な反語を飛ばしたのであれば拍手喝采だが、そうではなく、全面的支持なのだから開いた口が塞がらない。これを、国会で問い質したという話も聞かない。
これでは、世界の安全保障環境を破壊する動きに同調するのだから共犯である。自分が安全保障環境を破壊しつつ防衛力を強化するのは典型的なマッチポンプである。防衛装備品を輸出する口実でもある。経済成長に貢献させるために、手あたり次第、なんでもやる高市流だが、有権者はこんなことを期待して投票したのではない。
ものごとの本質を考える習慣を作らなければ、すべてが場当たり主義のやっつけ仕事になる。これをリアリズムというのは大間違いだ。実は、状況に流されるだけで、問題解決ができない。考えるのは「人」である。もちろん、誰もが日々一所懸命に考えているつもりであろうが、目先の問題解決専門では問題の再生産に過ぎない。
大問題をぶつけてみよう。いったい、日本国は独立しているのだろうか。政治家は、日本の立ち位置といえば直ちに日米同盟を掲げる。同盟とは、個人・団体、国家がお互いの共同目的のために同一の行動をとることを約束する。国家同士の場合、それは対等でなければならない。残念ながら日米対等とはいえない。
自民党は憲法を変えると躍起であるが、現実は、憲法の上に日米同盟が鎮座しているではないか。対等でない日米同盟を無視して、憲法を変えることに躍起になるのは、本当に解決すべき問題から逃げている。敗戦から80年過ぎても、米軍はかつての占領軍と変わらぬ地位で日本に滞在している。米国自身のためである。
たまに日米地位協定を改定せよという声が出るが、政府・自民党が本腰をいれて取り組んだことはない。本土の人々は、ほとんど沖縄の現状に問題意識を持たない。いまのままさらに時間が経過すると日本全体が沖縄化するだろう。なぜなら、日米が対等なのかという問題意識を持たない人がどんどん増えているからである。
自民党は奇妙な愛国主義の政党である。アメリカが押し付けた憲法だから自主憲法制定だと豪語しつつ、日米非対等な現実にはなんら疑問を抱かず、むしろ、高市訪米で示されたように、あの暴走トランプでも、ますます親米路線をひた走る。みっともない。
明治政府は、不平等条約改定の外交活動に苦心惨たんした。それを思うと、いま、不平等を痛くもかゆくもない不感症政治家ばかりになってしまったわが国の将来を明るく描く気分にはなれない。ものごとの「なぜ」を大切にしない人が成長するだろうか。人が育たない国が繫栄することはできない。誰もが考えねばならない。
