論 考

科学的議論より利害関係、行政効率を優先する神頼みの日本

筆者 高井潔司(たかい・きよし)

 NHKが昨年12月、BSチャンネル数の削減を実施して以来、NHKを見る機会が半減した。チャンネル数を削減してもサービスは変わらない、いや良くなると宣伝していたが、再放送が多くなり、しかもBS二つのチャンネルが同じ番組を一週違いで流したりしている。明らかに新しい番組制作数が減っている。

 地上波と言えば、多くの情報番組が朝ドラ、大河ドラマの番組宣伝ではないかと批判したくなる内容だ。主役クラスならともかく端役の俳優まで招いてインタビューする。歴史を扱ういくつかの番組も、大河ドラマと同じ時期の題材を扱って大河ドラマへと視聴者を誘う。ともかく安直に番組を作っている。

 そう思いながら、新聞の番組欄を見ていたら、こんな批評に出くわした。

 驚きでは軽すぎる。6月30日の「NHKスペシャル 法医学者たちの告白」は、目を開かせてくれる内容だった。批評はこの後、番組の内容をコンパクトにまとめ、最後にこう締めくくっていた。出演者、制作者の覚悟が伝わる一作。13日深夜に再放送が予定されている。

 というわけで、これは見逃す手はないと、深夜の放送なので、録画予約した。同夜の番組表を見たら、「ETV特集 膨張と忘却―理の人が見た原子力政策」という放送文化基金の最優秀受賞作の再放送予告もすぐわきにあったので、ついでに録画予約した。

 二つのドキュメンタリーとも、科学者が主人公で、その科学的な知見が、行政によって無惨にも悪用され、一方においては無罪の人を冤罪に巻き込み、他方では行政、業界の利権のために膨大な税金の無駄遣い、そして甚大な原発事故をもたらした構造が描き出されていた。

 わが身をふり返っても、何事も神頼みの日本では、いかに科学的議論が、利害関係の前にないがしろにされていくか、痛感させられる内容だった。良い番組は再放送をチェックして録画して見る、というのも賢いNHK利用法かもしれない。

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 ネタバレになってしまうが、少し内容を紹介しておこう。

 「法医学者たちの告白」は、警察、検察から司法解剖などを依頼される法医学者たちが実名で登場する。依頼される件数が年々増加しているにも関わらず、受け入れ体制は一向に改善されていないという嘆きの声がまず紹介される。その上で、裁判において重要な証拠として採用される科学的鑑定の結果が恣意的に使われるいくつかのケースが示される。

 科学的鑑定とはいえ、無条件で百パーセント〇、×というわけではない。一定の条件で、〇である可能性か高いというケースがしばしばである。

 しかし、検察官、裁判官はこの点を巧みに利用して、恣意的に解釈して、結論を出す。それは鑑定の前にすでに描かれていたシナリオに沿う解釈であることがしばしばだ。栃木県今市市の小学生殺害事件の裁判に関係した法医学者は、「科学が都合よく編集されちゃう」と、日本の司法を批判する。それが冤罪を生み出す一因になっている。

 袴田事件の再審に関わった法医学者は、弁護側から法廷での証言を求められだが、普段警察、検察側から鑑定を依頼される者が、弁護側の証人として出廷することのためらい、苦境を率直に語る。

 受け入れ体制を上回る司法解剖を依頼される法学者たち。警察、検察に対して批判的な姿勢を取ると、逆に依頼が減り、それは法医学者側の研究体制の維持に支障を生じる。その脆弱な体制を突いて、警察行政は鑑定の効率化を求めてくる。それはとりもなおさず、警察、検察の描くシナリオに沿った鑑定であり、冤罪の温床につながっていると法医学者たちは批判する。

 続いて、「膨張と忘却」は、原発を推進する政府の審議会に長年携わっていた科学史研究者、故吉岡斉氏(元九州大学教授)が遺した膨大な資料、メモなどを基に、関係者にもインタビューし、核燃料リサイクル問題などをめぐる原子力行政の実態を検証した番組だ。

 核燃料のリサイクルは、原発で出る核廃棄物を増殖炉の開発によって再処理し、リサイクルするという構想で、日本では1990年代半ばから、増殖炉の開発や再処理交渉の建設が始まった。しかし、30年を経ても実現に至っていない。欧米ではすでにその構想を断念している。しかし、日本だけがこの構想にしがみつき、この間、7兆円もの税金が投じられてきたという。

 その見直しを検討する審議会は二度にわたって開催されている。その都度、関与した吉岡氏は、科学的な議論を求め、決定過程の合理化、透明化、民主化を訴えてきた。構想継続の科学的根拠、その経済的合理性、見通しを示すよう要求したのだ。

 しかし、審議会は毎回、議論をつくさないまま、従来の構想の継続が決定された。今もって何ら成果のないまま、膨大な税金が投じられたのが実相である。その決定は、政治家、電力業界、行政の利権と立場をまもるためであり、しかも、審議会は「先に結論ありき」で進められていたことが、吉岡の遺した資料やNHKが独自に入手した資料で明らかにされている。

 当時の審議会長は、審議会開催前に行政と業者が結論を作っていて、その勉強会に会長自身も出席していたとの内部資料を、NHKの担当者に突きつけられ、どぎまぎして反論もできない場面も放送された。吉岡は彼自身のメモに「私はむやみに原子力開発利用に反対する者ではないが、政策合理性に関する真摯かつ有能な判断に基づいて進められてきたとはどうしても思えない。利益政治の枠組みの中で進められてきた」との感想を残している。

 そして中越地震での柏崎原発事故、さらに東日本大震災に伴う福島原発事故を経て、それまで科学史家として、市民運動から距離を取っていた吉岡は市民の運動に積極的に関わって行ったという。

 その衝撃的な内容から言って、かの事故にもかかわらず、原発推進を再開した政権は倒れて然るべきと考えるが、番組のタイトルにもあるように、わが国の原発政策は「膨張と忘却」である。それは国民の意識の反映でもある。