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暗愚の政権陥落の構図

司 高志

 最初に総理のご病気からからの一刻も早い回復をお祈りいたします。しかしながら、辞任しても終わらない宿題もあると思うので、以下に苦言を呈したい。

 辞任前の総理の振舞いについては、「雲隠シンゾー」とか「黙りのシンゾー」などと揶揄される始末だが、そうなってしまった過程を分析してみたい。

 そもそも就任当初から首相の答弁は、言葉は何となく美しいが、中身においては何もない、という奇妙な現象が見られた。就任当初こそ、前回の反省からか、安全運転を心がけていたようではあるが、その本性は隠しようもなく、次々と政治の私物化問題を引き起こしてゆく。

 まずは森友問題である。首相夫人の依頼により首相夫人付きの公務員が、あろうことか省庁にFAXを送ってしまったことである。依頼された公務員にしてみれば、まさかのもらい事故と思ったであろう。首相夫人の依頼を断るわけにもいかず、さりとてその行為が何を意味するかを理解していたとすれば、ダンマリを決め込むしかない。この公務員は国外に人事異動になった。栄転である。しかし最近国内勤務に異動したようなので、首相も気がかりであろう。また、本件については、財務省の文書改ざんが発覚してしまった。財務省の調査は終了しているが、改ざんを命じられて自殺した職員の遺族が裁判を起こしているので、これまた首相にとっては気がかりであろう。

 加計問題に関しては獣医学部を作りたい加計学園とK3大学と、候補が二つあったが、官邸が首相のお友達である加計学園を猛プッシュしている様子が記された文書が、文部科学省から出てきたため、文部科学省は敵視された。文書の公開に関してはこれが正しい姿であると思うのだが…。桜を見る会騒動も政治の私物化案件である。

 これらを通じて公務員は、官邸に都合の悪い文書は、存在しないことになることを学習してしまった。文部科学省のような目に合わないために、官庁は自主的に官邸の要請に沿うような行為を行った。いわゆる忖度である。

 末期症状も終盤になると、検事長の賭けマージャンの処分を省庁に丸投げし、処分の妥当性を判断しなければならないポジションにあるにもかかわらず、法務省から報告を受けただけだという、詭弁にも達していないような言い訳をし、結局法務省が全部泥をかぶった。

 これらのことは野党が弱いことに付け込んで、徐々に学習して得られた狡猾な作戦である。問題発覚当初は、内閣支持率は下がるものの、野党が下げ分を吸収できないため、一か月もすると支持率は元に戻る。さらに言えば、首相が手を下した直接証拠はないため、状況証拠は真っ黒でもなんとか平静を装うことができた。しかし、これらは首相の心の片隅に小骨のように突き刺さり、数が多いこともあって互いに共振し心を蝕んで、常に晴れ晴れ健康な心理状態にあることを妨げたのではなかろうか。

 そんな中、広島での公職選挙法違反による逮捕者が出てしまった。G民党から候補者に渡されたお金の追及が始まると、一か月で支持率を戻す国民とは違い、検察相手ともなれば、先行きはかなり不安であるだろう。王手は間近かと感じている最後にとどめを刺したのが、コロナ対策である。

 首相の打ち出す対策は、国民の命や健康に配慮したものはなく、結局のところ選挙の時に票で帰ってくるか、業界からキャッシュバックが期待できる施策ばかりである。

 首相自身は、新型コロナをかなり甘く見ていたのだろう。自ら直接対策をしなくて良いと思っていたフシがあったが、自治体の首長が行った対策の評判を見て、パクって、実行したりした。だが本心はコロナ対策を利用した政治の私物化であったため、やることなすこと国民には不評であった。ところが辞任の記者会見では未知のウイルスということを強調したが、当然のことながら、未知だから対策がうまくいかなかったのではない。対策そのものを行う気はなかったのに言葉を繕い平気でごまかす。これを繰り返していればまともな神経の持ち主なら自らのごまかしに耐えられなくなるのが普通だ。

 よい知恵がなければ、厚労省に知恵を絞るように命ずればよいが、厚労省も、これまでの首相の行いから言われたことだけやればいいと学習したのか、自主性は皆無だ。首相には省庁の知恵を引き出すという発想はない。

 コロナには夏休みも忖度もなく、感染者数という数値の結果が冷徹に出てしまうため、解散もできず、オリンピックも怪しいという状況が首相を着実に追い詰めた。

 アベノマスクは当初より国民には不評であったが、それでも介護施設等に追加配布を強行しようとした。一部メディアによれば、これには国民のみならず、党内からの批判もあったようで中止となった。

 予定通りにならないと見るや、首相のマスクがアベノマスクから普通のマスクに置き換わり、マスクの転売規制も終了してしまった。追加配布の要求の通らなかった首相は駄々っ子のように、アベノマスクをつけ続けるのをやめ、意趣返しのように転売規制をやめた。

 人前に出られないのは、潰瘍性大腸炎の影響もあったであろうが、自らの邪な政策私物化に羞恥の意識が目覚め始めたからだろう。万策尽きても国民の生命や健康のことを考えているのであれば、自らの考えを堂々と語ることができるが、本心では利権まみれと気付いている。心と違うことをしゃべるのはすでに限界であったであろう。記者会見での政権の私物化ではないかという記者の質問に、説明の不十分さなどは反省するが、私物化はしていないという答えだった。ウソの限界であったと思われる。かくて指揮官は、指揮台を後にしたのだと思いたい。